2013-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20131220023223

文明社会おいては、どうしても承認欲求が働いてしまう。貴族であれば文明社会おいて生まれながら階級というシステムにより、ある程度の承認欲求を満たしているが、ブルジョアプロレタリアートでは社会システム上(階級上)、ピラミッドの中〜下層になるためコンプレックスとして承認欲求を持ってしまう。階級と言うのは、何だか無難な響きであるが、何の事はない、文明社会おいて、人間の質を決めている非常にえげつないものである。そしてこの階級という壁が想像以上に人間の心理に影響をおよぼし、隔てている。ニーチェフロイト所詮ブルジョアプロレタリアートの憂鬱なのだ。対する貴族の憂鬱というのがゴータマシッタールダ、すなはち釈迦だ。釈迦の本来言わんとしていることが万人には理解しづらいのはそのせいだ。ちなみに釈迦一般的に、ドロップアウトしたと思われているが、僧侶階級的に貴族より上なので、それは大きな間違い。大変な反逆行為である現代おいて、知的好奇心の大きさで、ブルジョアプロレタリアート貴族思想、思考を理解するのは難しい事では無いだろう。しかし、生まれた時点、育った環境の癖というのは強力かつ、その個人をコントロールしてしまう。元増田の悲運は、貴族より下の階級に生まれながら、貴族の抱える憂鬱まで理解出来てしまった点にある。しかし、現代おいて、これはさほど珍しい事では無いだろう。シェイクスピアが今でも評価されるのは本質をついていて、未だにそれが変わってないかなのだと思う。さて、ここからやっと本題だが、いわゆる ”悟った人” はどうしたらいいか? である。 これが大問題なのだ現代的な価値観ではとうてい憧れるロールモデルなど無いのである。一番最初に悟ったとしている釈迦おいては、ず〜〜っと瞑想してただけと聞く。 極端に言えば、瞑想マスターになり、脳内麻薬出し続けのぶっ飛び状態になってたらしいのだ。多分コレが貴族より上の階級僧侶の憂鬱を解決したということになるのだろう。。。ちなみに、知っての通り芸術家と言われる人達は、この階級ピラミッドから外れた人達であり、それ故、貴族より下の階級人達漠然と憧れるのであると言われている。で、元増田がどうすべきか? そんなことは百も承知だろうが、そんなものはない。元増田だろうが、誰だろうが、本来そんなものはない。逆にそれが救いとも言える。

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