2013-07-27

たましいにふれることについて

http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/07/27/050743

これを読んだ。とてもよかった。ひとつひとつ積み木の城を組み立てるように丁寧に言葉を組み上げてある。

子どもの頃をふっと思い出すような、しわくちゃの祖母の手を思い出すような文章だ。それはこの文章がぴかぴかの本物だからだ。最近ネットが退屈になってきたという声がよく聞かれるが、こういった文章がある限り完璧につまらなくなることは無い。

何故なら人生で最も面白い事は作り物ではない世界に触れることにしかいからだ。ぼくはそう信じている。

テレビ音楽が衰退したのは偽物で創造された美しいまがい物ばかりだと皆が知ったからだ。そして今これだけネット流行っているのはここに本物があるからだ。

醜くて残酷で悪意に満ちていて目を背けたくなるかも知れないが本物だ。取り繕う事も覆い隠す事もなく作られている。

2ちゃんねるだってツイッターだってそうだ。他人に見せる物である以上完璧に虚飾を剥ぎ取る事はできないけど、編集されたものじゃない生がそこには息づいている。

そしてこのブログには作りものではない彼女のたましいの美しさが書かれている。

この文に懐かしさを覚えるのは幼い頃見ていた世界の美しさを思い出すからだ。彼女のたましいは幼い頃見ていた世界のように汚れていない。

ぼくは残念ながら既に汚れていて、ぼくの文章も偽物だ。少しでも美しく見られようと技巧を目一杯凝らしている。

この比喩はありがちではないだろうか、とか、こっちの言葉の方がリズムとして楽しいのではないか、とか、見目麗しい単語を使おう、とか。

しかしこれはまがい物の美しさだ。このブログを書いた彼女の真似はぼくにはできない。これは彼女がたましいを汚さずに生きてきたからだと思う。ぼくは自分を取り繕って覆い隠して生きてきた。何もない事が露呈しないよう生きてきた。

こういった、本物の美しいたましいの篭った文章に触れると自分のたましいを磨こうと思える。こどものころのようなうつくしいせかいをとりもどすために。

作られた偽物が少しずつここにもはびこり出しているけれど、ここが自由である限り何もかも失われることは永遠にない。

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