8月は終戦の季節なので。
1941に真珠湾で開戦し、当初は連戦連勝だったが、1943辺りから敗色が濃くなった。
選択肢としては、そのまま「本土決戦」まで突っ走らずに、ミッドウェーとか
ガナルカナル、フィリピン争奪戦辺りで、アメリカと講和する、という選択肢もあったかもしれない。
(欧州でヒトラーが交戦状態だったので、日本単独の講和が可能かどうか微妙だが)
「1943頃に、中途半端に講和休戦する」より、
「1945まで玉砕で突っ走って、無条件降伏に追い込まれた」ことが、
数値は腰溜めの数値だが、
「A=開戦前の4分の3の国力の状態で1943頃に休戦し、その後5%の経済成長の日本」と、
「B=開戦前の2分の1の国力まで落ち込んで1945に無条件降伏し、その後10%の経済成長の日本」。
確かに一時的に辛いのはBで、それこそ飢餓線上スレスレだったのだが、
数十年のスパンで考えるとどうか?
75.00 1943
78.75 1944
82.69 1945 50.00
86.82 1946 55.00
91.16 1947 60.50
95.72 1948 66.55
100.51 1949 73.21
105.53 1950 80.53
110.81 1951 88.58
116.35 1952 97.44
122.17 1953 107.18
128.28 1954 117.90
134.69 1955 129.69
141.42 1956 142.66
148.49 1957 156.92
155.92 1958 172.61
163.72 1959 189.87
171.90 1960 208.86
180.50 1961 229.75
189.52 1962 252.72
199.00 1963 278.00
ということで、当初は苦境だが、1956頃にはBの体制の方が経済規模で優位になり、
以降その差は拡大していく。
Aの体制だと、軍部はそのまま温存され、治安維持法も大政翼賛会も温存。
GDPに対して軍事費の圧迫は著しく、又外交も困難を極め、自由に資源調達できず、自由貿易も望めない。
ひと握りの中産階級と多数の貧農、という体制下なので内需も拡大しない。
言論の自由は制限され、それによる萎縮効果で、科学技術の進展も緩やか。
結局、一時的には辛くても、「膿を出し切って、高度成長できる自由体制」に舵を切った方が、
長期的には国力は増す、ということになる。
結果的に旧国体が解体に追い込まれたことによって、高度成長体質になった、その意味では
日本が「徹底的に太平洋戦争を戦った」ことが、その後の日本のためになった、と感じている。
逆説的だが、頑迷に本土決戦に固執して自爆した、旧日本の支配層には
無条件降伏まで突っ走らない程度の判断力を軍や政府や国民が持ってたなら、その後の経緯も変わるだろうけどな。
無条件降伏まで突っ込まないと経済成長率が低い根拠は? 全く理解できない。 御飯を食べてたら身長が170cmまでしか伸びないけどパンを食べていたら200cmまで身長が伸びた位...
本文中にあるけど軍事費が根拠じゃないかな
そりゃあいろんなものをアメリカに売った結果復興に専念できたわけだからね…。
http://anond.hatelabo.jp/20120729100400のぶくまで 「匿名ダイアリーに書いて、最初に自分でブクマというのは新しいな」とか言ってるけど この人何年も前から同じことやってたと思うんだが、 ...