最近よく、文化、歴史、政治的側面から日本を賞賛するような記事を目にする。
こうした記事に目を通すと、事実と些か異なっていたり誇張されていたりするが、それは別段大きな問題ではない。
というのは、日本がよい国であった、あるいは日本がよい国であるという主張に共感する人が大勢いるという点がこの問題の本質であるのだ。
アメリカや中国といった超大国は多くの国民が国家の象徴である国旗や国歌に敬意を表している。
イギリスにいたっては、移民に対して女王陛下に忠誠を誓うことを義務づけている。
果たして、日本人の我々は国家に対して、象徴たる君主に対して敬意や感謝の念を抱いたことがあっただろうか?
否、我々は教育の中で徹底的に自虐的歴史観、自虐的正義感を植えつけられてしまっている。
そのために、「日本という国は悪である」という固定概念と都合のいい根拠だけを基に、国家の存在意義や価値を判断するようになった。
さらに言えば、国家や君主に敬意を表することは服従を容認することでなければ、その歴史を美化することでもないことに気付いていない人が多すぎる。
我々が脈々と受け継いできた文化や歴史を受け入れるということは、それらの中にあった過ち、例えば諸外国への侵略を正当化することでは決して無い。
にもかかわらず、そうした見当違いの思い込みや政治的な思惑で多くの日本人は日本に対する誇りや国民たる尊厳を失ってしまった。
この元凶は、戦後の荒廃した日本を目の当たりにした今の教育者層が我々を教育してきたことに由来する。
そうした人達にとって、彼らの戦争絶対悪、国家絶対悪というのは理解できないことも無い。
しかし、歴史を少しでも学べばそうした自虐的な価値観を持つ必要性などどこにも無いのだ。
ただし、我々が少なからず犯した戦争などによる過ちを美化することはしてはならない。
それが客観的な歴史観であり、子供たちに国家への真の敬意を示すことになる。
そういった前提で、「日本はすごい国だ」「こういった事をしてきたんだ」という記事を読むことで、内なる自尊心に気付かされるのは至極自然である。
私たちには誇るべき文化や歴史があり、現在では政治的経済的に世界に貢献している。
こういう主張をするとすぐに思考停止に陥り、虚無な反論を試みる人がいるが、「我々にとって」日本が素晴らしい国であることには変わりないのだ。
それが嘘だというのであれば、日本SUGEE!コピペを読めばいいだろう。中には誇張もあるが、概ね正しい。
それを読んでも日本が凄い国であると本当に感心できないのであれば、それも個性であろう。
パスポートを持っている人であれば、こうした文言を見たことがあるだろう。
「日本国民である本旅券の所持者を通行支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」
我々の中には国を憎み、嫌い、怨むような人がいるが、彼らは大きな勘違いをしている。
あなたたちが憎んでいるのは「政府」であり、「国家」ではない。
政府があなたを小中学校に進学させ、政府が年金を管理し、政府があなたの生活や安全を保護している。
逆に、政府があなたの生活を圧迫させるような政策を行い、政府があなたの意にそぐわないような政策をとっている。
国家と政府の関係は政治学などで論ぜられるところであるが、重要なのは政府と国家を混同している人がいる点なのだ。
もっと言えば、平安時代には政府はなかったがそれと同等の機関が存在したし、鎌倉時代には幕府がその役割を担った。
そうであるなら、自分と国家を混同しその栄華に浸るのは愚かしく、我々の成長によって社会をよりよくしようとするのが真の愛国であり、国家への敬意の表し方である。
我々が政府に搾取され、騙される存在であり続けるのは、何も言わず何もしないからであって、社会の構造を変えるのは意志と行動のみである。
そこから脱却することで、我々は初めて、国家に対して誇りを取り戻すことができるのである。
何か「国家には敬意を払わなければならない」というところから出発していて気持ち悪いなあ。 釣りかしら。 もっと言えば、平安時代には政府はなかったがそれと同等の機関が存在し...
まあ高校生が一所懸命作文しましたね、という感じ。 「鼓腹撃壌」って知ってるかな。 とりあえず増田のように「真の愛国」を云々する人間が増えるほど住みにくい世の中になるなあ...