はてなキーワード: 苺ましまろとは
最近、表情筋を使わなくなってきてやばいなー、と思う。
風邪か何か知らないけど、ここ2週間くらいずーっと他人とまともに話をしていない気がする。
あ、いや、してるか。日曜にとても気の合う友人が家に訪問してきて、延々とヲタトークしてた時は割りと表情動いていたと思う。
でも、平日はずーっと無表情で職場の仕事用デスクトップに向かい、ソースコード書いてる。無茶なスケジュールを組まされた案件のソースコードを、ただ書いてる。時折、他案件の相談とかも舞い込んでくるんだけど、その受け答えがクソ面倒なのね。あー、うぜぇって単純に思う。仕事に関する話じゃなくても、職場で話しかけられると何であろうがとりあえずうぜぇって思う。自分の頭の向いている方向以外の話をするのが、とにかく面倒。
なんだろう、この感覚。コミュニケーション能力が一時的に欠如しちゃってる。表情を動かすのが辛い。すべて面倒。寝るのも、飯食うのも、立ち上がるのも、考えるのも。すべての行動に、鎖がまとわりついているかのような感覚がある。
物理的なすべてが面倒なんだけれど、キーボードとマウスだけは脳直結で動作する。うん、なんて都合のいい。
生きる目的も、やりたいことも、能動的な何もかもが薄れてきてるから、いつでもボールを追って車道に出た子供をかばって死ねる体勢はできてるよ。ハードディスクの中身を見られたって、死んだあとなら問題あるめぇ。いくらでも蔑み馬鹿にするがいいよ(死んだ後限定)。というか、そういう正義の死に方をしたいね。
あと、苺ましまろのアニメを見てた時も表情緩んでたと思う。よし、ロリコンの俺死ね。でも死ぬと親が悲しむから、死ねない。父親も母親も早く死ねば…、いや、この俺が命令する!「生きろ!」長生きしろや二人とも。これは何人たりとも破れない絶対遵守の力だ、わかったな。あー、つまりは死ねない死ねない死ねない。十字架背負わされてるよ。
ちょっと気が楽になった。ありがとうマスダマス。
既に旬を過ぎた話題だとは思うけど、らき☆すた関連で
http://kuki-shimin.com/archives/219
この記事は誇張が含まれていると言うか近隣の住民にしてみれば
ネット上で言われているほど酷いと言う状況ではないし、絵馬なんかも
以前はあちこちに置いてあったのも半ばギャラリー的な配慮で一面に
ファンの度が過ぎた行為に関しては今の所マナーを啓発すればいいだけのことだし
この記事を欠いた久喜市民と言う人間は鷲宮神社を久喜市の物と誤認している節があるし
(実際の所在地は隣にある鷲宮町)まちBBSの久喜関連スレッドにおいては問題のある人物
であったと聞く。つまり電波野郎の戯言ににアンチやネットイナゴが乗せられてしまった感じが強い
ただ、この騒動を思うに有名な作品の舞台が実在する所であったとして、
そこにその作品のファンが集まるのは仕方のないところであると思う。
ただ鷲宮神社周辺は商店街の通りにあるとはいえ周辺は住宅街であり、
さらに言えば廃れた町と言う印象なのだ。さらにはうどんの加須や
フライの行田みたいに何らかの形で人を呼び込む事をやっていなかったので
そういうことに対して慣れていないというのはあったのかもしれない。
(さすがに苺ましまろにおける浜松のように舞台が完全な住宅街であったのなら
さらに言うと今回の件や秋葉原で行われたアキバデモの件がいいように
何らかの軋轢みたいなものが生じてしまっているんじゃないか?
ただ、現実社会ではあくまで現実において行為を行ったものだけを
取り上げる風潮がある、ネットで騒くだけ騒ぐと言うのは
既に限界が来つつあるんじゃないだろーか?。
http://anond.hatelabo.jp/20070627070228
言える、言える。
アキバブームで、平成初期のあの険悪な雰囲気(オタク=幼女誘拐殺人犯予備軍、のごとき扱い)はだいぶ和らいだものの、
「フジヤマ、ゲイシャ」的な興味本位で勘違いな関心で終わってたりと、所詮まだまだお笑いピエロ的役割だしな。
とは言え、お笑いピエロでも宮崎勤予備軍扱いに比べればどんなにマシかしれないけど。
ところで、テレビのアキバ系特集番組は、本当に馬鹿の一つ覚えみたいに秋葉原=「メイドさん」「おでん缶」ばかり取り上げてるけど、自局の深夜アニメの宣伝につなげようなんて気がまるで全然ないのかね、と、他人事ながら気になってしまう。
あっ、アキバ系特集番組は所詮オタクを笑いものにするのが第一目的だろうから、「苺ましまろ」のタペストリーとか「ネギま!」の抱き枕とかに囲まれてるオタクのお宅拝見みたいな番組をやりながら「この番組はこのチャンネルで深夜に放送されてます、みんな見てね!」なんて事はできないか。
「視聴者の皆さんもこういう奇人変人の仲間入りして世間の笑いものになってください」って言ってるに等しい行動だもんね。納得。
今更ながら、アニメ「苺ましまろ」を観ている。おもしろい(原作は未読)。
見ていて飽きないのは何だろう。テンポがいいんだろうか?
言動のほとんどがウケ狙いのところとか、
やっちゃいけないことをやっちゃうところとか。
彼女達は物語の中でこそ、刺激を与える良いアクセントになっているものの、
この世に実在するああいうタイプの人間は、空気が読めない故に、
周りの人がフォローに回るのにうんざりさせられてしまう、という事がややあると思う。
美羽も智も、容赦なくツッコんでくれる人がいてこそのキャラだし。
ああいった性格に育つ人は、家庭環境の影響が大きいのではないかと勝手に推測する。
恐らくは家で、ひとりになる時間があまりないのではないだろうか。
いつも傍に誰かいる状態で、自分自身と対話する時間が得られない。
その為、独自の考えや価値観というものがなかなか身に付かず、
己の価値を他者とのやり取りのみで確認しようとしている様に見える。
それが彼女達をウケ狙いやタブーの行動へ走らせる原因ではないだろうか?
そういう意味で彼女達の行動は、寂しがり屋の構ってちゃん的なところがあると思う。
他者に依存していると言ってもいい。
アニメ「苺ましまろ」の5話では、まだ小学生でその分依存心も強いであろう美羽が、伸恵おねえちゃんに構って貰えなかったことによって、大泣きしてしまう。
いつも笑いを取ろうとしている様なタイプの人間は、その価値を他人に委ねている為、他人に冷たくされた時に受けるショックが大きいのだ。
と言っても、もちろん伸恵は意地悪で美羽に冷たくしたのではない。
美羽はいつも明るくバカみたいな事を言っているし、伸恵はいつもそれを冷たくあしらっているのだ。
伸恵にとってはいつもと同じノリで接しているつもりだったのだろう。
(まぁひとりだけお菓子を買ってあげないってのはちょっと…、4話の恨みか?)
しかし美羽は違った。アナばかり可愛がる伸恵を見て、本気で彼女に「私を見て!」と叫んでいたのだ。
ああ切ない…。
まぁ狼少年みたいなもんで、自業自得っちゃあ自業自得なんだけど、
子供の性格なんて自分でどうにかしようと思って出来るものでも無いし、美羽に責任はない。
美羽には自分のコントロールの利かないところで動いてしまうところがあって、その為に傷ついてしまう。
要するに不器用なのだ。
何故こんなに熱く語ってしまったのかというと、かく言う自分にも彼女達と似ている面があったからだ。
というか、まるで過去の自分を見ている様だ。いつも他人に興味を持って貰いたがっていた。
年齢を重ねるに連れてかなりマシになってきてはいるが、
未だに耐えることができないのが、「集団の中の孤独」を感じてしまう時だ。
あとで思い返すとほんとに憂鬱になるが、まんま美羽とか智の様な、過度に社交的(=他人にとっては鬱陶しい)なキャラがムクムクと出てきてしまう。
ギリギリまで押し殺すのだけど、理性では全然抑えきれないのだ。
相手の白い目を感じていながらも、止める事が出来ない。
自己があれば、集団の中の孤独を感じる事もないのだろうか?
確固たる己が欲しい。
私は私、っていう感じの千佳みたいになりたい。
ちなみに、私には中学三年まで部屋がなかった。
家にいるときは、母がテレビを見ている居間で過ごすしかなかった。
姉が二人いる騒がしい家で息苦しさを感じて育った。
上の方の美羽と智の性格に関する推測は、そういう環境で育った私の自己分析が元になっている。
もう二十歳を越えている身だし、今の性格まで誰かの責任にする気はないけれど、
小さい頃に自分だけの居場所がなかったということは、私の人格形成に大きく関与していると思う。
※編集する方法がわかったので多少弄りました。