2007-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20071206182443

百合(GL)好きの男として、付言しておくと「男であることへの拒絶」として解釈できる百合(GL)も存在はする。

存在はするけれど、単に解釈できるというだけで、描き手が「男であることへの拒絶」を示すために描いたと思われるものはあまり見たことがない。

男の描き手が「男であることへの拒絶」を意識して書いている百合(GL)なんてほぼ皆無なんじゃないだろうか。

むしろ、百合(GL)という形態を借りてきて、実は「男と女関係」と変わらない物を描いてるだけに過ぎないようなものが多い。

特に18禁ものはそういう傾向があるように思う(だから、そういうのを百合・GLと認めない人がいるのだけど)。

そういう面で、「男であることへの拒絶」を百合(GL)に期待する男は、女の描き手が描くものを好む傾向にあるかもしれない。

少なくとも、私はそうなのだけど、たぶん「男であることへの拒絶」を百合(GL)に期待する男は圧倒的に少ない。

そもそも、百合(GL)自体、需要が少ないし、さらにそこに来て「男であることへの拒絶」なんて需要はほぼ0だと思う。

物語りにおける「女」というのはポジティブに書かれていないような気がするのだ。

対等ではないような、男と女であって、人間人間ではないような。

そうやって感じるのが女であることに対する否定なのか。


女の描き手が描くと、まさにここらへんの反発を基点にして、対等な関係からスタートする恋愛関係とかそういうものを百合(GL)もので表現できるんじゃないだろうかと思った。

と、ここまで書いて、「かしまし」みたいなTS物ってどういう位置づけになるんだろうとか考えてたら、よくわからなくなったので、やめとく。

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