はてなキーワード: 愚行権とは
the cove
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愚行権という言葉を以前聞いて、これはなるほど世界に広げたい言葉だと思った事があります。言い換えれば寛容です。人が自分にとって愚かな行為をしているとしたとしても、自分に危害が加えられない以上、それを許容するという考えです。
アメリカは比較的、愚行権の範囲が広い国です。どこで誰が何をしていても、そして主張していても基本的には許されます。グラウンドキャニオンにも柵がほとんどありません。死ぬのも生きるのも、自分でどうぞ。基本姿勢はこれであります。
転じて日本は、愚行権の範囲が狭い国です。どこで誰が何かをするのは、人々に取って他人事ではありません。人は人前でどう振る舞うべきかを意識します。人々はなるべく全体として統一感を大切にしようとします。和をもって尊しとなすであります。
しかし、国の中で起きている事と、外で起きている事は大きく違います。
アメリカはひとたび海を跨げば、愚行権の狭い国に転じます。許せないものは許せない。正義は世界で只一つ。大げさに言うとそういう姿勢で外交を行っている国です。というより、国の原則的なあり方は暴力装置あってこそだと固く意識している国です。
日本はひとたび海を跨げば、愚行権の範囲のきわめて広い国になります。大方の事は許し、寛容の精神をもって接します。まあまあ、そんなに力まなくても。みんな違ってみんないい。基本的な外交姿勢はこうでしょう。切れるといくとこまでいってしまいますが、そうなるまでは寛容の国であります。
文化と正義の狭間です。例えば人食文化をもつ民族を世界は許すのか。女性蔑視、部族間で女性、子供を売り買いする文化を愚行権の範囲とするのか。幼い頃から首に輪っかをつけて首を伸ばす文化は、人権侵害に値しないのか。global warmingは?
文化は時に、他の文化の琴線に触れます。どうしても許せないものに触れた時、人はそこに介入し争いが起きます。
アメリカは人々に自分自身を持ちなさいと教育します。そして主張し、自分らしく生きなさいと教えます。正しい事は自らが決めるのです。
人生は豊かになります。独立自尊の精神が育まれます。しかし、何か信じ込んだものがあるとそこに暴走する癖もあります。他人の声や、客観的な視点は欠けがちなのが西洋文化です。そしていったん何かを信じると、愚行権の一切合切は正義の名の下に遠くに消し飛びます。
人様が何を食べるかなんて、ほっておけばいい事。私はそう思いますが、アメリカ人の一部はそう思っていないのでしょう。イルカは食べちゃいけません。そう、おっしゃった神様がアメリカのどこかにいるのかもしれません。
食わずには生きておられぬのが生き物です。そしてまた、生き物に順列はなく、万物は今一瞬姿をこの形にしているだけで、所詮はDNAの只の運び舟です。生きとし生けるものの業であります。
グラウンドで時々、肩に力が入って前に進んでいないアメリカ人を見ます。
肩や脚を気にせずにぼんやりと全体を眺める。そうすれば全ては繋がっていて、どこが大事でもどこが不必要でも無い事に気付きます。動きとはそういうもの、肝心なのは大きな流れに逆らって歪めてしまわぬ事です。
J・S・ミルとかの自由主義だと、「他者を危害しないようにすること。これを倫理や法の究極原因として、これ以外の理由で倫理や法を作ってはならない」という立場でよかったんでしたっけ。
これだと二つ欠点があって、一つは個人が愚行権で生活の質を落とすことを食い止められないこと(ex.麻薬)、二つは社会全体や集団・組織に対する被害を食い止められないこと(ex.わいせつ)、があると思うんですね。
実際には麻薬は規制されているし、わいせつも規制されている。これらはそれぞれどういう理論的基盤がありますか? 他者の介在しない個人や、他者を越えた社会や集団・組織を対象にする倫理や法があるんだと思うけど、そういうことについて知りたい場合は何かいい本とかありますか?
この件でエントリを起こそうと思ったら、元増田がちょうどいい話題で書いて下さっていたので、ぶら下げさせてもらいます。
オナニーはしないといけないってのに。
まさにこの点が重要なんでしょう。
せっかく、性的欲求に駆り立てられる性質をもっているのに、そこで手軽に2次元で済ませる習慣を選択する男性が少なからずいると、
と、女性総体的にも行政的にもよろしくない状況になる(と言うか、もう既になっている)ので、それを解決する為に、
男性が市場から離脱するルートを1つ閉鎖しようという思惑なのではないかと。
つまり、2次元に逃げるという選択をさせないこと=愚行権の制限を狙いとしているということでは無いだろうかと考えています。
しかし、マッチングが成立しない責任の一部は明らかに女性側が負うべきものだと、おそらく世の男性はこぞって思っているだろうと思われるので、
女性の相場だけつり上げようというのは不公平感がどうしたってある筈。
別に2次元エロ媒体禁止されても痛くないけど・・・、という人は、女性による高望みの禁止とか過剰なむだ遣いの禁止を提案すれば良いのではないかと思います。行政との利害の一致は期待できるので、通るかも・・。
なお、僕自身は3次元エロ苦手な野郎であり、禁止されると結構ツライのですが、社会情勢を踏まえると現状は継続的には容認されえない状態だと捉えてます。
さらに横からです。すいません。
自分に関しては彼らの行動を我慢すれば済む。そこまではOK。
でも、当の彼らにとって、その行動があまり良い判断の結果ではなさそうに思える。
愚行権とか、そういう話になるのかもしれない。自分は全然詳しくないけど。
あと、例えば車椅子の人は、自身の考えで乗ってるんだから構わないんだけど、
親の判断で人混みの中に押し込まれる赤ちゃんはちょっと可哀想だな。
いや、面白がってる可能性も捨てきれないが。
そうそう。新幹線の自由席で帰省すると混雑の酷さで泣き出すガキがいるよね。
だからといって、ガキが泣く権利を否定はしない。むしろ俺も泣きたいし。
いや、さすがにそれは言おうよ
年200万では、バイトでもした方が稼げるじゃん
それをしないで、かつ働ける状態では、愚行権を行使してるとしかおもえんよ
それを救うような法律はさすがに無理だろ?
だって、それって言ってしまえば、自分のやりたい事はこれである、これで生きていけないのはおかしいって言ってるに近いよ?
言っちまえば、ニートとして引きこもって生きていけないのはおかしいだとか
一日中遊びほうけて生きていけないのはおかしいって言ってるようなもんだろ?
愚かな行動を取る事由は当然に認められてるさ。
けど、愚かな行動を取りたいから取ってるけど他人より不利なのは納得できないって言われたら
どうしろっての?
愚行権は「人に迷惑がかからない範囲内で」許されるんじゃなかったかな。
「社会の迷惑」ってのが具体的事実じゃなくて、単に「目障り」とか「気に食わない」って意味なら止めさせられないだろう。
まあ、子供については「なんでも好きにしていいんだよ」みたいにすると、将来困ることは確実なんで、ある程度強制してでも最低限の学力と社会常識は身につけさせる。
でも、成人した人にそうするのはなかなか難しい議論があると思うよ。
愚行権か。それ、どの程度通用すんのかな。
おめえ、社会の迷惑なんだよ、と、犯罪犯してもいないのに責められるとか
人に迷惑かけたとしても、その他の人間の方がわいわい責めるとか。
そりゃあ、改善したほうが本人のためなんだろうけど、自分の意志に沿わないことを、政府でなくても自治体でなくても世間の圧力で強制されるってなんだろうと。そんなら野垂れ死にした方がましだと。
一方で、いや一時の我慢で幸せになれるんだよという考え方がある。
自分としては、やっぱり「自分で選ばないと」幸せじゃないんだよ。いっくら社会のためになっても。
それをずっと考えてる。