はてなキーワード: モンティとは
あなたは玩具メーカーに、他の4人はゲームメーカーに就職した。
ゲーム業界は人気は高いが競争も激しく、玩具業界も煽りを喰ってかなり厳しい。
少子化の影響で、4年後に生き残れるのは1社のみだとされている。
さて、3年目でゲームメーカーの生き残りはDの1社に絞られてきたが、
では、またちょっと整理してみます。
ということで、http://anond.hatelabo.jp/20080302124828と同じように整理されてしまいます。ですので同じように、「あなた」がDの会社に転職してもしなくても、「自分の会社が倒産する」ことになる確率は変わりません。
これも確率に「モンティ・ホール」のような重み付けが発生しない理由は、元祖「モンティ・ホール」でいう「回答者が最初に扉を開く」にあたる条件がないから、ということになります。玩具メーカーとゲームメーカーと分けられていますが、条件を「1社単位で見た場合、生き残る確率はほぼ同じとなる」だけにしているため、業界を分けた意味がなくなってしまっています。
こうしてみてはどうでしょうか。追記・変更した条件部分は太字で。
あなたは玩具メーカーに、他の4人はゲームメーカーに就職した。
ゲーム業界は人気は高いが競争も激しく、玩具業界も煽りを喰ってかなり厳しい。
しかし、3年間は玩具メーカーは倒産しない理由がある(どんな理由だ?となりますが、玩具業界にはどこかから援助があるとか、そこは本筋と関係ないので何とでも)。
一方で少子化の影響で、4年後に生き残れるのは1社のみだとされている。
さて、3年目でゲームメーカーの生き残りはDの1社に絞られてきたが、
こうすると、
というわけで、「あなた」の会社は生き残る可能性がDより少ないので、転職した方がいい。という結論になります。
ところで、このバリエーションだと、「ドロップアウト要素」が会社ということでまとまっているので、http://anond.hatelabo.jp/20080302122453の増田さんご指摘の問題は発生しないということでよろしいでしょうか。
条件を追記・変更した増田です。トラックバックにコメントさせてください。
なるほど。ご指摘の通りですね。
では、最後の一文を、
ここであなたのところに、Dの会社に転職しないかという話が来た。あなたは転職すべきだろうか。
↓
ここでCとあなた、どちらかがどちらかの会社に転職できるという話が来た。2人とも生き残るためには、どちらが相手の会社に転職するのが適切か。
に変更するので解決でしょうか。
あなたは4人の友達A、B、C、Dとともにモンティ・ホール大学を卒業した。5人はそれぞれ別の会社に就職した。実はこの5社のうち毎年1社は確実に倒産することが決定している。初年度にA、2年目にB、3年目にCの勤めた会社が潰れた。
ちょっと整理してみます。
というわけで、「あなた」がDの会社に転職してもしなくても、「自分の会社が倒産する」ことになる確率は変わりません。
何故、確率に「モンティ・ホール」のような重み付けがないかというと、元祖「モンティ・ホール」でいう「回答者が最初に扉を開く」という行為、または今回この「モンティ・ホール」バリエーションで私が勝手に条件を追加した「あなたは、3年後の時点ではまだ無事に働き続けていられることとする」という条件のいずれもがないから、ということになります。
Aの会社がすでに1年目に倒産してしまっているのに何故こんな誘いが?ということになり、「モンティ・ホール」よりは「叙述トリック」で解説される分野かもしれないですねw
その通りだと思います。
横入りだけどちょっと問題をシンプルにしてみるね。
あなたは4人の友達A、B、C、Dとともにモンティ・ホール大学を卒業した。5人はそれぞれ別の会社に就職した。実はこの5社のうち毎年1社は確実に倒産することが決定している。初年度にA、2年目にB、3年目にCの勤めた会社が潰れた。
『そして実はDのところにも誘いが来ていた。「Aの会社に転職しないか」……』
(追記)すいません「『あなた』の会社に」の誤記です。↑
…としたら、これは「ジレンマ」じゃなくちょっとした「パラドックス」になるのかな? かな?
教えてエロい人。
最初のスタートの時点で、誰か1人(1人じゃなくても何人でもいいんだが、1人の方が考えやすいので)が○○という条件が決まっていれば、モンティ・ホールのバリエーションになるかな。あと、「ドロップアウト」要素が、人に紐づいているのか会社に紐づいているのかよく分からんので、そこも変更します。
例えば、こんな感じとかどうですか。追記・変更した条件部分は太字で。
あなたは4人の友達A、B、C、Dとともにモンティ・ホール大学を卒業した。5人はそれぞれ別の会社に就職した。この5人の中で、3年後に生き残るのは2人。転職をしない限り、4年後に問題なく働き続けていられるのはただ1人である。また、あなたは、3年後の時点ではまだ無事に働き続けていられることとする。
3年後。Aは会社が潰れフリーターとなった。Bはストレスから鬱病となり休職中。Cは就業中の事故で障害を負った。
あなたとDだけが無事にサラリーマン生活を送っている。
というわけで、「あなた」は生き残る可能性がDより少ないので、転職した方がいい。という結論になる。
なぜころ問答は、1=0.99...問題やモンティ・ホール・ジレンマのように論理・真理を問う問題ではなく、考え方を問う問題だから。時代が変われば答えは変わっていくだろうし、だからこそ繰り返し聞く意味がある。
まして、問いは「なぜ人は人を殺してはいけないのか」ではなく、「なぜ人は人を殺してはいけないのか、と子どもに聞かれたらどう答えるか」。当然ここには子どもにどうあってほしいか、という考えが含まれてくるわけで。
同じように何度も忘れた頃に蒸し返される問題としては、たとえばモンティ・ホール問題や0.999999...=1があると思うが、これらは一応、過去の問答の蓄積を誰かが掘り返してくる。
なぜころ問答は、それがほとんどないように見える。毎回記憶喪失。
これに関連して思いついたこと。
モンティ・ホール問題や0.999999...=1は、数学における事実を扱った問題だ。つまり、
事実の探究(どちらのドアにするべきか?、0.999999...は1なのか?、等) ↓ 事実の発見(別のドアに鞍替えしたほうが有利、0.999999...=1、等) ↓ いかにして個人個人が理解する(させる)か ←いまここ
という問題構造の上に議論が進む。発見された事実は揺るがないし(だから事実発見までの議論の蓄積が役立つ)、個人個人が理解に用いたノウハウも参考になる。
一方、なぜころ問答では、
規範の根拠の探究(なぜ人を殺してはいけないのか?) ←いまここ
そもそも探究されているものが事実ではなく規範の根拠だ。そして、この探究は未だ目標物を発見できていない(この点に異論あるなら、発見されたものを示してもらえると助かる)発見できていない(発見されたものの蓄積もない)にもかかわらず、「いかにして個人個人が理解する(させる)か」のフェーズに入ろうとするから、おかしなことになるんじゃないだろうか。