はてなキーワード: ネタ探しとは
オレは左翼だけど
どうやら朝日は、裁判を、「反省」を求める場であり、同時に、慣用的に使われる「裁判で真実を明らかにしたい」とする場であると考えているらしい。
東京裁判という「場」が一般の「裁判」とは異なるものであったことくらいは知っている。
増田は「裁判上の反論」であって反省の有無とは別問題、と捉えたいようだけど、A級戦犯とは天皇免責のための生け贄役であって、個人的にはむしろ『どう考えても無罪主張は無理』であり、その意味では裁判戦略としてはむしろ本来『情状酌量を狙って反省の弁を述べる』方向でいくべきだった、とは思う。
だが、おそらく『生け贄役を務めるため、あえて有罪を目指』しつつかつ『不名誉な名目で断罪されることを拒否』した結果として、戦中と同じ『聖戦を信じた狂信者』のごとき言説を述べざるを得ず、『国民はそれを「我々を欺いた狂信者奴!」と罵ることで自らの無罪性の担保とする』という壮大なマッチポンプがそこにある仕掛けなのだ。そして、その一歯車として朝日新聞は機能したし現在もしている…というのがそこにある問題だよね。
で、そういう戦後空間そのものの欺瞞性を問いあらためて国民と天皇の罪を問うという文脈でならば、この件の欺瞞性を問う行為には意味があると思うが、どうもそういう意図にも見えない。そのあたりの踏み込みが浅すぎて、増田のエントリには納得できないと言わざるを得ないな。
つーか、裁判員制度に絡めて朝日叩きがしたいだけなら、別なネタ探した方が良いと思うんだ。
(追記)
それにしても、イラク戦争反対・ブッシュくたばれ派のオレだが、戦争裁判が今行われて「ブッシュをA級戦犯(平和・人道に対する罪)に問うべきか?」という問題が出されても、それがイエスかノーか分からないというのが本音。戦争というのは、個人や特定の少数の考えで起こるようなもんではないという気がする。単なる感覚ではあるけれども。
仕事中の息抜きを一切しないでできるような仕事ということは、おそらく増田はクリエイティブ系よりもルーチンワーク系の仕事をしているのだろう。特に経理とか総務とか書類作成とかわりと事務系の仕事ほど、来る作業を次々こなし、仕事中にネットなど遊ぶ時間はなく、ただしきっちり定時退社ってことが多い気がするな。
自分は別にSEじゃなくて全く違う職場だけど、他とのスケジュールの兼ね合いでぽこっと空き時間が空くことなんていくらでもある。そりゃその時にネットを見ることもある。もしくは考えて考えて煮詰まったときの気晴らし、同僚との雑談による情報収集、さりげない仕事のネタ探し、そんなものは普通にやる。
「自分たちSEが特別に大変」って顔をするSEはバカに違いないが、待ち時間で息抜きをするSEをバカにするのは、バカにするほうがバカ。それは職種の違いなんだから。
http://anond.hatelabo.jp/20080603171436
を書いた増田です。放置して帰ったらたくさんブクマ付いててびびった。
つか、wikipediaで社内ニートって調べてみたら、わりとネガティブなことが書いてあんのね(一般的な定義を知らなかった模様)。それによると「無気力さ」が強調されてるんだけど、オレが述べているのは、ちょっと違う。んでも、リアルニートもオナネタ探しの情熱を就職方面に傾ければ…とか言われるじゃないですか。「しなくていいことはする。しなきゃなんないことはしない」というトコは基本的に同じなんだけどね。
ブクマコメントでも「仕事してんじゃん」「それ、むしろ優秀」(←貴方は何も知らないから…)と、身に余るお言葉をいただいてアレなのですが、オレの場合ただ、「仕事がしたくない」だけなんだ! というか、うちの仕事とか、みんなの方が多分うまいこと出来るから任せるよ! みたいなアレで。ええ。会社はわりと好き! でも仕事したくにゃい!! そんなダメな大人が、それと気付かれないように策を弄しつつ、ラクして会社での立ち位置を確保している様。それが『社内ニート2.0』ってことでいいんじゃないか。な!「2.0」とか付けると、だいたいそうだけど既存のソレとはちょと違う! みたいな感じが出ていいな。だいたいみんなそんな目的で使ってんでしょ? 2.0。
頑張っている他の社員のお陰で生かされている存在であると自覚すべきである。
自分がやるより、他の社員の方がよっぽどいい結果を導くのは自明の理である。
目立つことはないが、社内では独自のポジションを確保すべく暗躍すべきである。
真っ当に頑張っている社員と、同じ土俵で勝負することは絶対に避けるべきである。
会議では、終盤に意味ありげな一言だけでいい。後はできる人間が勝手に解釈してくれる。
ささいな手間なら進んで引き受けろ。その間に面倒なことは誰かの仕事になる。
味方で有れば己の無能さを看破されることはない。むしろ過大評価してくれる。
どうしても逃げ切れない仕事は、即決で引き受けよ。その後誰に振るかゆっくり考えれば良い。
会社が養える無能メンはせいぜい自分ひとりという危機感を胸に、やんわりと前線復帰を促せ。
昔、まだネットもそんなに普及してなかった頃さ。
俺は、あるアイドルと、アニメの、オタクだったんだよ。小、中学生くらいだったかな。
今でこそ、アニメの情報なんて、アニメのタイトルちょちょっとグーグルの検索窓にいれてちょいとエンターキー押せば、基本的な情報はすぐに知ることが出来る。もう少し詳しく検索すれば、より細かい、いらんだろこんな知識、ってなもんまで、手に入れる事が出来る。今このアニメのグッズはどれほど出ていて、値段はどうか、DVDはいつでるのか、あの原作の本の新刊はいつ出るのか、キャラクターの細かい設定はどうだったか……そういったものは、当時は、忘れないように雑誌をチェックしたり、自分で本を見て調べたりする必要があった。でも今は、そんなの知らなくたって、ちょいと検索すればすぐ出てくる。当時は、ある漫画の、細かいネタ探しなんかを一生懸命して、友達に発表したりして、「すげー!よくこんなのみつけたな!」なんていわれてちょっぴり有頂天になってみたりしたものだったが、今は雑誌が発売されればその日のうちにすぐどこかのサイトで当時の俺など及びもしないみっちりした検証が発表される。当時俺がハマっていたアイドルに関する知識なんて、ファンクラブに入ったり、それか出演してそうな音楽雑誌をチェックして、インタビューをチェックしたり、テレビを見たり、そのくらいでしか得られなかった。今は、アイドルの名前を検索すれば、どの雑誌にいつインタビューが載るか、どのテレビに出るのか、ラジオに出るのか、ライブはいつで、グッズはこれだけ出ていて、詳しいプロフィールはこうで、ついでに怪しいながらもアイドルの裏話みたいなのもすぐ出てくる。それらが、簡潔にまとまったページが、すぐに出てくる。当時俺が消防なりに苦労してた知識は、今となっちゃ検索一発で出てくるファンサイトのある一ページで事が済む。
当時は、色んな知識を覚えておく必要があった。
でも今は、そんな必要がない。ノートパソコン、いや携帯の一つでもあれば、当時覚えていた知識なんて、すぐに取り出せる。その知識を、ワード等を使いメモで残しておく必要さえなくて、どこにその情報があったかすらもたいして覚えなくて良くて、ただ、アニメや漫画やアイドルのタイトルを検索しさえすれば、たちまち情報が引き出せる。
これはオタに限った事じゃないかもしれない。俺は、昔より、「頭の中に知識を蓄えておこう」そんな意識が確実に薄まっている。「あとで検索すればいいや」「検索すれば分かるし」「ブクマに入ってるし」……。そんな意識が代わりに出現してきた。記憶装置が、自分の脳でなく、外部にあるという感覚。これは素晴らしいことだと思う。だが一方、「覚えよう」という意識が、本当に薄まっている事に気付く。「覚える」のに対し、モチベーションが湧かないのだ。だって、すぐそこにあるPCを起動させて検索すればたちまち一気に手に入る情報なのだから。最早それを覚えようとするのは、受験勉強の感覚に近い。受験といえば、ネットが普及して以来、俺は受験や試験勉強以外、「覚えよう」とほとんど思っていない気がする。だからなのか、近頃まだそんな年ではないというのに物忘れがちょくちょくある気がする(まあこれは思い込みかもしれないが…)。ネットは明らかに便利でいいものだと思う。以前より、断然環境としてはよくなったと思う。しかしあまりにその外部記憶装置に頼りすぎ、自分の脳内の記憶装置の中身が明らかに少なくなっている。それが怖い。「調べれば分かるから」という意識があるがゆえ、寧ろ前より知識が多くなっているように感じるのだが、自分の脳内だけを見れば、ほとんど空っぽだ(いいすぎだが)。
何がいいたいか分からなくなってしまった。
当時より格段に早く情報を一括して入手できるようになったけれど、それは「皆も同じ」なのだ……
当時消防厨房だった頃俺「だけが」ネットを使えていたらそれはもう凄い装置だったろうが、
それが基本である今、知識自慢なども出来ず(必死になって覚えたところで、皆もそれらの知識をどうせ入手できるからだ。ただ、それを脳で「覚えていない」というだけで。要するにただの記憶力自慢になるだけ)また、そもそも、「凄い知識を持ったてっぺんの人たち」「凄い技術を持ったてっぺんの人たち」の存在が、知識同様、容易に分かってしまうから、今更それを目指す気にもなれない。最早俺より凄い人は常にいて、知識は皆が知りえるところにたっぷりと置いてある。どんどん、オタク世界は、他人と差をつけ辛くなっている。つける必要なんてないかもしれないが、あの切磋琢磨感はもう得られないのだろうか、と思うと、それはそれで少し寂しいものがあるのだ……。