はてなキーワード: コンセントとは
うちの中学では全学年の全クラスが演し物をやることになっていた。体育館に全校生徒が集まる中、ステージ上で下の学年から順番に何かをやる。中身は演奏でも劇でも何でもいい。よくある青春の一ページだと思う。
そのクラスの出し物は演奏だった。順番は早め、空気があまり暖まってないなか、彼らは手拍子と足踏みで "We Will Rock You" を歌いはじめた。
どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。
"Buddy you're a boy make a big noise Playin' in the street gonna be a big man some day Mud on yo' face Big disgrace Kickin' your can all over the place Singin!"
うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。
うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。
単純なリズムと歌詞の繰り返し。誰でもすぐ覚えられる QUEEN の名曲だ。当時のおれは "We Will Rock You" を知らなかったので、漠然とかっこいいなと思いながら聴いていた。
しばらくして異変が起こった。というか、何も起こらなかった。彼らはずっと手拍子と足踏みを繰り返し、ひたすら歌い続けた。どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。そして演し物は唐突に終わった。何の落ちもなく急に終わった。
彼らが退場するなか、運営委員のアナウンスが流れた。
「ステージ横のコンセントは電源が入っていません。電源が必要なクラスはステージ下のコンセントを使ってください」
何が起こったのかは分からないまま、文化祭は続いた。
二十代になってから QUEEN のベストアルバムを買った。素晴らしかったがその素晴らしさについてはさておく。そしておれは本物の "We Will Rock You" を聴いた。君らは "We Will Rock You" を知っているか? 知らないなら Youtube あたりで動画を探して、四回くらい聴いてから続きを読んでほしい。
聴いた? じゃ続ける。
二分程度のこの曲は、うち一分二十秒がメインフレーズの繰り返しでできている。どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。そのリフレインが続くと思わせて、一分二十秒あたりから印象的なギターソロが鳴り始める。後半四十秒はギターの独壇場だ。コーラスに絡むギターソロ。ギターソロを盛り立てる手拍子と足踏み。最高に盛り上がってから曲は見事に完結する。ブラボー! 素晴らしい!
本物の "We Will Rock You" を知って、おれはようやくあの日の悲劇を理解した。あのステージの上では、ギターの電源が入らなかったのだ。
君らはギターソロが始まらない "We Will Rock You" を聴いたことがあるか。おれはある。君らは終われない "We Will Rock You" がどれほどいたたまれないものかを目の当たりにしたことがあるか。おれはある。あれはひどい。本当にひどい。
iTunes で "We Will Rock You" を聴いていて、ふとそんなことを思い出した。文化祭の彼らは、ある意味実にロックだったと思う。あの日のためにギターソロを練習した同門の誰かは、今も元気に暮らしているだろうか。
けっつまづいた拍子にお前のコンセントが抜けてしまえばいいのにって思うよ
会社に入社して寮に入って気になったことがある。
「あれ、私の隣の部屋の人まだ会社にいたのに部屋の電気ついてるや。消し忘れたんかな。」
最初はそう思っていたのだが、よく見ると毎日だ。
しかも、よくよく見ると、そんな人が周りにごろごろいる。
子供のころから、使わない電気機器はコンセントを抜け、とまで教えられてきた私は非常に違和感をいだいた。
「え、だって、帰ってきたときに真っ暗やったら寂しいやん。」
友達に不思議に思って聞いてみたら、そんな答えが返ってきた。
しかも結構まわりの同意を得ている。
そんな考えがあったのか・・・
「別に誰に迷惑をかけてるわけでもないからいいでしょ?電気代は寮費に含まれてるんやし。」
電気の無駄遣いはダメっていうのは、きっと普通の教育を受けてきたらどこかで誰かに教わるはずだ。
でも皆、その無駄遣いダメの理由が、お金がかかるからダメっていうふうにしか受け止めてないんだな、って思った。
なんか、地球とか環境とかって実は全然関係ないのかなぁ、私が間違ってるのかなぁ、って気がしてきたよ。
電気を節約したって、水みたいに貯めることはできないんだっけ?
なんかわからなくなってきた。
「よく分からないけど、誰もいないのに電気がつけっぱなしやったら、私は気持ち悪いよ。」
そういったら友達は笑って私の言うことを流した。
やっぱり私が間違ってるのかなぁ・・・
でも次の日帰ってきたら、友達の部屋の電気は消えていた。
嬉しかった。
結局どっちもエゴなんでいい中間地点に落ち着くしかないですね。
ええ、所詮その程度のエコ(自己満足)です。
テレビはつけっぱなし、コンセント入れっぱなしで楽したいんですよ。
でもあれもなんだか包装コスト抑えたい&袋売りたいなスーパーの陰謀に見えてきちゃったりもしますね。
切らない理由を延々と述べるのはたぶん「めんどくさい」という理由では納得させられないからであって、その理由に意味は無い。
それに気づいた事でもにょってしまった訳です。理由に意味が無いところに。
テレビは納得した。
その気持ちはとてもよくわかるぞ。彼氏の方だけど。
単純に言ってしまえば、彼氏にとって節電することのメリット(電気代や環境問題)がデメリット(めんどくさい)を上回るものではない。それだけ。別に節電するのが嫌だとかいうわけではない。切らない理由を延々と述べるのはたぶん「めんどくさい」という理由では納得させられないからであって、その理由に意味は無い。だから節電したいのなら話は簡単。めんどくさくないようにすればいい。理想的な形としては自動化。
アクションが増えるというのはかなり痛い。例えば TV をつけるのに「コンセントのところまで移動」して「コンセントのスイッチを入れる」や「TV 本体のところまで移動」して「主電源を入れる」など。
逆にアクションが増えないのであれば大きな問題にはならない「部屋を出るついでに(部屋にあるすべての家電製品に繋がる)スイッチを切る」など。ただしスイッチはせいぜい2個までで、部屋の出口(ドア)から手を伸ばすだけで届く位置にあること。照明から家電製品まで全てを1つのスイッチでOn/Offできれば問題ないだろう。
ちなみに俺は TV の主電源を切るが、その理由はリモコンを探す方がめんどくさいから。
ダメ人間との指摘は不要だ。自覚はあるが直すのがめんどくさい。
先週のためしてガッテンを見る。
分別癖をつける、節約癖をつける…
の話はどーにもガッテンできない内容だったけど
待機電力はなんとかしないとねえ…という話に。
主電源を切る生活をしていた自分にとってはほんのちょっぴりもにょっていたので切ろうよ、と言ってみた。
…切らない理由を延々と述べられた。
要約するとめんどい。
じゃあ、ルータの常時つけっぱなしやめたり、パソコンの電源はスイッチ付きコンセントにしようぜ!と言ってみた。
またも延々と。
あー。わかったわかった。面倒なんだね、すごく嫌なんだね。
ああ、もにょる。もういいよ。説得するのが面倒になってきたよ。
ほんとに変化させるのが嫌な人なんだなあ…
そういえば、料理も自分があまりしたことない食べ方だと嫌がるなあ…
歳かな。
っちゅー訳でもないけど、うちの職場は男女の割合が9:1で、女性はほぼ全員事務職。
いつも男性側にとって快適な温度調整にされて、特に冬場は凄くしんどい。寒いのに温度を上げると文句を言われる。
男性は結構あちこちどたばたしてるけど、女性は机に向かってPC操作とか細かい作業とかデスクワークが主で殆ど席を立たない。この辺も温度差が開く原因なんだろうけれど。
制服だから被服で温度を調整するといっても限りがある。ひざかけは勤務上ちょっと理由があって禁止されていて使えない。
夏場は夏場で温度下げすぎで寒いし目が凄く乾くし……夏の制服は半そでだから下に着る服にも困る。加湿器おきたい。
いっそ別室にして欲しいけれど最初に言ったとおり女性は少ないから無理。どうしたらいいのか。辞めなきゃ駄目かな。
電気ストーブを置くスペースとコンセントがないや……つーか机に引き出しすらないって何この職場。ロッカーに鍵もないから貴重品は全部身につけてないと駄目。工業地帯で治安悪いのにセキュリティ意識皆無。終わってる。
誰もやってないのでわかんないです、というか私が酷い冷え性持ちで異常に寒がりらしく他の女性は寒いねとはいいつつもそうでもないみたいで……夏場でも熱いお茶と腹巻は欠かせません。
http://anond.hatelabo.jp/20070418011041
実のところ今PCで通信するための技術でなくて情報家電接続を見越したものじゃないかと。
つまり「コンセントを挿すだけで接続完了」。通信速度次第では、たとえばTVとHDDレコーダを結線する必要もなくなるかも知れない。ゲーム機だって電源ケーブルだけ。
無線LANの方が良いです。有線のほうが私は好きですが。
私はPLCについて最初から組み込みのAV機器や家電でもない限り意味がないと考えています。PCやゲーム機やHDDレコーダーの接続に利用するのは明らかにバッドチョイスです。
結局無線ではないひも付きなのになんで高くて素性の悪いものを使うのか小一時間問い詰めたい。浪費した研究開発費をちょっとでも回収したいだけちゃうんかと。
あとおまけに
西斜目南型駅を降り立つとそこは交差点。
地上どころか気がつくと高架になっていたため、地下鉄を降りるとそのまま階段を下り、出口へ。高架下の道路も上の道路も車が縦横無尽に走り回っている。
昔はこんなちょっとした矛盾がおもしろく、色々な矛盾を探し回ったものだった。いまとなっては、ただ単に揚げ足取りになりかねない行為だ。あるいは、大人の事情とやらの意味不明な事情でこういう理由だからこうなのだと自分を言い聞かせてそのような矛盾に無理矢理理由を与えている。
そこから道路を渡り、案の定同じところを一周するという典型的な迷子の状態で目的地へたどり着いた。
電子音が響き渡る。どうやら自己主張の強い機械らしい。コンセントという便利な端子から無尽蔵に電気を使いまくるその機械は鳴りやむ様子もなくまるでだだをこねる赤ん坊のように鳴り叫ぶ。
そういえば、子供の泣き声ほど不快なものはない。電車内において携帯電話の話し声やヘッドホンステレオの音漏れに匹敵するほどの不快指数である。
これらに共通することは、発生源はほとんど罪悪感のかけらも見せないことだ。小声で申し訳なさそうに話している人も結局は同じ部類である。
電車内では一車両まるごと同じ企業、同じ商品の広告が張り巡らされている場合がある。都会では、電車内にとどまらず電車の塗装に細工をして広告だらけにしている車両も走っているようだ。
電子音の話に戻すと、こうしている間にもいまだに鳴り叫んでいる状態だ。よく考えてみると、電子音を鳴らしている原因はその機械を扱っている人物が存在していることである。その人物が機械の育児を放棄している状態と考えると分かりやすい。
世界の人々は全員初心者であり、小さな頃から見たこともない聞いたこともない物体に遭遇してきた。大きくなってからも無意識に未知の物体と遭遇している初心者としての自分はいつの間にかなりを潜め、今までの臭いものには蓋をする習慣とコレまでの経験と照らし合わせて、無理矢理同一視して物事を捉えることになりすぎたのだ。
華麗なる睡魔とカレーになる黄砂との戦いは未だ続いている。むしろ、始まったばかりである。黄砂は花粉に比べて人体に与える影響は少ないのであろうか。そのうち地球は温暖化を通り越して、バンバン化に向かっていくと推測される。
ファイルの修正が進められている。原因は何とか究明されたらしいが、それを修正し、文書化する行為は本質から離れた作業となる可能性が高い。しかしながら、人間はそういった本質から離れたがる習性を備え持っているため、本質から離れた作業に注力してしまい後で焦りを感じてしまうのは特に現代に始まったことではない。
あれもこれも偽物だらけの世の中になってしまった。ただし、よく似たものの中から一つだけ本物を見つけようとするとお天道様の力を借りても延べ2日かかかるだろうという認識だ。
世界水泳大会のスイマーは睡魔に襲われたときの対処方法を持っているらしい。
この先、何が起こるか分からない時代だし、今までも数年前からは考えられなかったことがたくさん起きている。地球ではあちらこちらのプレートにストレスがたまっている。ストレスは何かしらの形で発散させられてしまう。
人当たりの良さと食あたりによる食中毒を目の当たりにすることで、人類はそのような不測の事態に備えて体内に抗菌物質を蓄える。ピロリ菌はこのことについてどのような感想を抱いているのか是非インタビューをしてもらいたい。
貶めてしまうことは果たして善意なのだろうか。漢字を眺めると貝が欠乏していることが見て取れる。従って、ニワトリの飼育に用いられる牡蠣の殻を毎日欠かさず適切な量を摂取し続けることによって貶めが改善され、ヘッドフォンステレオからの音漏れも無くなっていくと容易に想定される。
偽物になってしまうと、欲が出て本物になろうとする。そのような場合には、本物に本物であるという証明を与えてやるとよい。そうすることにより本物が証明という名の呪縛に縛られてしまう。照明は明るく照らされているけれども、全てを照らすには暗すぎる。そこで偽物が輝いてくるのだ。
全てはそこから始まっているというわけではない。枝分かれという表現はあるが枝すぼみという表現はない。尻すぼみになりがちな忍耐力は枝分かれした筋肉細胞によって強化されいずれは鈍感力へと昇華していく。ヨウ素のように昇華すると事後処理に200万ほどの手間がかかることからもうかがえる。
咀嚼能力の単位について世界的な咀嚼学会が行われている地方での議論が活発化している。ただし、咀嚼物としては電圧が一定以上の基準を超えていないと認められないため、学会では単位策定の前に統一された電圧の発生方法をいかに効率的に行えるかの議論が行われている状態である。
愛想の良さということについては議論の余地がありそうもない。全ては愛想が良い機械に支配され、他の分野への応用が利かない状態へと膠着してしまっていることが大きな原因である。しかし、物騒については良さと悪さについての考察が始まったばかりのため、現在のところ主導権を握ることが出来る状態にある。