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2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090108100924

一応農村育ちといっても畑のない分家せがれで、今じゃ外に出てしまってる身なので詳しいことはあやふや。

平野部と言えども典型的な兼業小農な地域だから、農業への関心がそれほど高くないみたい。

地域によっては規模拡大に取り組むような積極的な農家もいるみたいだけど、こちらでは農地が売れればいいという話を聞いても、結局は買い手がなくて更地荒地のまんまのところが多いかな。

今の大黒柱の40-50代の世代はさしづめ副業程度の扱いで携わってる雰囲気。引退後にやるかも知れんけど。さらに自分のような若い世代は・・・・。

だから、ネットを使ったり世界市場を睨んだ情報収集をしてるのは極々限られてるようですね。農協をあげて消費契約する所もあるみたいだけど、あまり詳しくない……。

ただ、昔から農協を通じて市場に出す以外に、ネットではなく個人の付き合いや直販のようなアナログで各農家が販路を作ってたりすることは多いようです。あと、数年前に地産地消の動きで給食に提供したりとかあったような。遠くの小売店に出したりとか。

情報集約して販路や利益を大きくしようというよりは、むしろ小さくローカルコンパクトにの動きになってるのかな。兼業だからかもしれないけど。

現在の主力の世代(老年世代)の話を聞いてると、農作業=重労働=つらいという考えでなくて、生活の一部だから、土地を持ってるからごく普通農業に従事しているという印象を受けるんだよなぁ。だから若い世代と認識が違うんだなと思う。

2009-01-08

ネットを見てると農業企業参入をすれば、旧来の縛りから自由になってビジネスチャンスが生まれるんだーという意見が多くて、農家の多い集落で育ったのでなんか違うなーと思ったりする。

農業一本で食ってる家なんてあまり見ないし、大抵が兼業でやってる。三ちゃん農業なんて言われて久しいけどそんな感じ。

じいさんばあさんが主に畑仕事をやって、父ちゃん母ちゃんが外に働きに出て土日やら農繁期やら手伝ってる。時にはせがれとか親戚も駆り出されてる。

近所で一番農地を持ってると言われてる家でさえもそういう兼業農家でした。

農地道路やお店の土地として売れると羨ましいと聞いたことがあるね。まあ、偶々その土地に決まっただけで大抵の場合売ろうにも使い勝手が悪くて売れないみたいだけど。

うちの地元減反対策か何かで果樹やハウス栽培をそれなりにやってるうちが多かったんだけど、ここ10年くらいの印象だとハウスを畳んだり、果樹を伐ってる家が増えたなぁと思う。大抵育てやすい田んぼか自家用の野菜畑に変わるけど、中には荒らしたり、樹を植えてたりするところもあったりする。担い手が高齢者だからさもありなんといった感じ。入院やら葬式やらがあったら特にね。あと、手入れも大変だし。さっき書いた大きめの畑持ちも10棟あったハウスが3棟くらいにいつの間にか減ってたなぁ。

と言っても悪いことばかりでもなくて、老人が畑仕事をしてる所為か、腰が痛いと言ったり乳母車を押してたりしてても死ななそうなくらいピンピンしてる。逆に入院したりすると目も当てられないことになるけど。

あと、三世帯居住で年金とか複数収入があるからか危急存亡の危機のような逼迫はしてないみたい。この前、とある農村に行ったら子供らが集まってPSPモンハンやら遊戯王やらで遊んでたなぁ。まあ、集落の近場に働き口やお店が少ないのがネックかな。

農業に風を吹き込めば農村大丈夫かと言われれば、そうではないなぁという印象。

2008-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20080904150727

職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。

ちょうど10年前の話。

自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。

高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。

学年一の結果だったそうだ。

先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。

(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)

そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力テストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン専門学校へ。

が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。

水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)

深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。

結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。

神奈川県にある工場期間工に応募する。

工場雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。

が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。

コピー機の検査仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。

寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。

友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。

その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。

旅行好きなT君は、今までもオーストラリアワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。

でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。

類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。

工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。

普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、

「いいねー。どこにする?」

インドに行きたい」

「えーインドかよ。俺アメリカがいいなあ」

トランプで決めよう」

トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。

Tは全部インドと書いた。

そして当然のようにインド行きが確定。

さてここで彼の変な行動力が出る。

自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。

それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。

自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。

しかし自分は彼と違い、職場上司にもまったくそのことを言っていない。

そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。

どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。

別世界のようなバンコク熱帯夜

安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。

そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザ関係で自分は数日遅れの出発)。

英語もわからぬまま一人取り残される俺。

インドには約1ヶ月いた。

帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。

駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。

結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。

RPG主人公みたいな格好をしているTを見て笑う。

帰国後、今までのツケは当然ながら来た。

基本的に生活能力がない自分。居候先もでぐうたら寝てばかり。

しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。

彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。

(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsense小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)

いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。

金がないので深夜のフェリー北海道へ。

(当時は釧路行きのフェリーもまだ現役だったのだよなあ)

鈍行列車バスを乗り継いで、地元の小さな町へ。

バス停に降り立った時点で残金は数百円。

バスから降りた時の地元の空の広さは、きっと一生忘れない。

家に戻ると、親父が洗車していた。

50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。

なんと声を掛けたかは覚えていない。

が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)

空いている部屋で、泥のように眠った。

その後、免許を取らされたり。

地元商工会に顔を出さされたり。

長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。

T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。

商工会課長さんが自分を信頼してくれて、商工会ホームページパソコン教室の講師を任せてもらったり。

そして、地元パソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。

それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。

でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。

これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。

きっと死ななければまたいいことがあると思う。

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