はてなキーワード: 私生児とは
「本人の逸失賃金」と「遺族の経済的精神的逸失利益」をもとにする。
「精神的損失」については最近含められたという。確か2億円程度だったか。
「遺族の被害者感情」というものが含められている。
んじゃあ、家族がいない人が死んでも、家族がいる人が死ぬより、補償や制裁は小さいってことか。
言いかえれば、人に愛されていない人の命は、愛されている人の命よりも、値打ちが低いってことか。
じゃあたとえばだ。
今ここに人を殺したい、あるいは暴力をふるったりレイプしたりしたい潜在的犯罪者がいたとする。
家族のいない人を殺したりレイプしたりしたほうが刑罰が軽いから、
そっちを殺したりレイプしたりしよう、と考えるかもしれないな。
生命保険会社の社員がすでに板きれに乗って海の上に浮かんでいる。
そこに2人の加入者が助けを求めてきた。
3人乗せたら板きれは沈む。どちらか一方しか助けられない。
家族がいる人に死なれるより、家族がいない人に死なれた方が、支払う保険金は安くて済む。
だから家族がいる人を助けて家族がいない人を見殺しにしよう、そう判断するでしょうな。
家族がいなくても、家族と同じぐらい被害者を思っている人だっているかもしれないよな。
一方で、刑罰を受ける犯人についても、家族がいれば刑は軽くて済む、いなければ重くなる、って論理が成立するよな。
中絶も単純に経済的理由からだけでなく私生児になるから、世間体が悪いからという理由で行われることが多い。
(というか結婚できないから経済的に厳しいという場合も多いだろうな。)
男性が結婚してやらないというのはつまり愛していない、少なくとも責任を全うするだけの愛情がないってことだな。
(胎児が人かどうかという野暮な議論は捨象するとして、まあこれから命になる命の芽だということは確かだろう。)
なんで父親が母親と結婚せずにできた子供、愛されていない私生児だと、殺されても仕方がないんだよ?
男性から愛されていない女性の子供だから、殺してしまっても、構わないって言うのか?
父親が結婚せず経済的に厳しいってんならそういう母子家庭に補助をしてあげればいいじゃないか。
そんなところに税金を使うと家族という単位を壊すことにつながるというが、
じゃあ家族を作れない、他人に愛されていない人間は生きる価値がない、命の値段が低いってことなの?
はっきりとテーゼとして明快にしたほうがいいと思うんだけど。
わたしは夏休みが嫌いだった。
わたしにとって家は心休まる場所ではなかったからだ。
学校に行けばいじめられた。でも、家のように痛い思いはしない。だから家より学校のほうがマシだった。放課後には解放されるんだし。
夏休みになればずっと家にいることになる。休みが明ける前に死ぬかもしれないと思っていた。
朝6時におきて、自分でトーストを焼いて牛乳を飲む。母は夜の勤めをしていて、この時間は起きてこない。
10時を過ぎたころ、8歳下のきょうだいが起き出す。
昼ごはんは母の内縁の夫が用意する。そして母と内縁の夫はパチンコに行く。わたしは幼児と二人きり。
昼ごはんを食べ、オムツがなかなか外れなかった幼児のオムツを替えて、遊び相手になりつつ夕方になる。
母と内縁の夫が帰ってくる。母はわたしと話す間もなく用意をして仕事へ。
内縁の夫は夜ご飯を作る。そしてまた出て行くときもあれば、家に居てわたしを些細なことで怒鳴り、殴り、踏みつけにしては実子(幼児)を可愛がった。
内縁の夫が野球中継を見る。あるいは、幼児が何かビデオを見る。そのどちらもないときだけ、わたしは好きな番組が見られる。
そんななので、学校でクラスメイトが話すテレビの話題がまったくわからなくて悔しかったっけ。
お風呂に入り、9時には就寝。
でも、気が抜けない。内縁の夫は何か理由を見つけてはわたしを布団から引きずり出してボコボコにする。
いつも頭が腫れて痛かった。髪を洗うのが苦痛で仕方なかったけど、学校で「くさい」と言われたくない一心で必死に洗った。
寝る前に、毎日「明日は殴られなくて済みますように」と祈っていた。聞き届けられることはなかった。神なんていなかった。
ちょっと気を抜いた瞬間、よくわからない理由で拳が振るわれる。生まれてこなければ良かったと思った。
友達は出来たけど、みんな家族と仲が良かった。思春期特有の衝突はあるものの、根底にはしっかりと愛情が根付いているのが見てとれた。
みんなの「家族が嫌い」とわたしの「家族が嫌い」は違うんだと気づいたら、もうおしまいだった。
母はわたしを助けてくれなかった。姉は家に寄り付かなかった。8つ下は、幼児特有の残酷さで嘘の報告をし、わたしが殴られるのを見て喜んでいた。何より、成長するにつれてあの男に似てきた。
どうしてわたしだけがこんな理不尽な目にあわなきゃいけないんだ、とはっきりとは言葉にできなかったけど、そんなかんじ。
わたしは病んだ。
精神病院を出たり入ったりを繰り返し、いつの間にか精神科に通うことも薬を飲むこともなくなった。
わたしがされたのは、あれだけじゃなかったんだ。
誰も助けてくれなかった。先生に訴えたこともあったけど、しつけの一環だと言われた。
おじいちゃん、おばあちゃん? わたしをしつけの悪い子だと思っていたようだ。
ご飯は、朝は自分で用意しなきゃいけなかったけど、昼と夜は食べさせてもらっていたと思っていた。
実際にはパチンコに負けたからという理由でご飯抜きにされていた。
高熱が出て早退するとき、学校から迎えに来てくださいという電話を受けて、あの男は「歩いて帰って来い」と言った。
片道45分を自力で帰ることはできず、途中で道端にうずくまっていたところを親切な女性に車で送り届けてもらった。あれが変質者だったらと思うとぞっとする。
運動部に入れといわれたから入った部活では「ユニフォームや道具が高い、陸上部だったら体操着で行けたのに」とか文句を言われて、大会のとき以外で道具を使うことは許されなかった。顧問の先生にはちゃんとしたシューズを履けと言われた。
水分補給をしっかりしろと顧問の先生は言っていたけど、わたしが家から持ち出せるのは500ミリペットボトルくらいのサイズしかない水筒一個分のみだった。
幼児のほうは家にある一番大きな水筒を持って幼稚園に行っていた。
それと、あの男が家を出ることになった事件。
8つ下は父親がいなくなって泣いていたけど、わたしはちっともかわいそうに思えなかった。「○○はお父さんがいなくなってかわいそうなんだから」「あの子は私生児なんだから」だから何? どうしてわたしより優先されるんだ?
わが子はかわいい。
でも、時折ひどく嫌になる。
「わたしは愛されなかったのに、どうしてこの子は両親にも祖父母にもちやほやされちゃうんだろう」
つまりただの嫉妬だ。
それはわかっている。そんな思いに支配されてしまえば、わが子にも暗い子供時代を送らせることになるということも。
だから必死で踏ん張っているけど、でも、我が儘を言って泣き喚く子供を見ていると、不意に黒い衝動が湧き上がる。
虐待のニュースを見て、「なんでこんなひどい事できるんだろうねえ」なんていう義父母さえも憎い。
この憎しみを家族に向けてしまう前にわたしが死ぬことが、わたしが家族にできる唯一の貢献ではないかと思えるようになってきた。
祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと。
数枚残っている写真を見れば、ずいぶん美しい人だったことが分かる。洋風の顔立ちでどう見ても白人の血が混じっている。祖先には白人はいないはずだが、どこかで血が混じったのかもしれない。
子を抱えた祖母は生きるために、子を育てるために働きに出た。これという産業もない田舎町。幾つかの会社を経営する地元の金持ちの家に、通いで家政婦として勤めた。
やがてその家の主人の子を宿した。どうも強姦まがいのことがあったらしい。
それで生まれたのが僕の父。
私生児に人権などなかった時代だった。はらませるだけはらませておいて、責任をとるつもりもなかった主人は、何もしなかった。
祖母は亡き夫の兄夫婦に頼んで、その夫婦の戸籍に僕の父を彼らの実子としたうえで、養子縁組をして僕の父をひきとった。
父が5、6歳になる頃まではそれなりの生活費も与えられて、わりあい裕福な暮らしをしていたようだが、狭い町ゆえにやがて主人の妻にその存在がばれて、以後は極貧の生活を強いられた。
その中で祖母も亡くなり、父は異父兄姉に育てられた。
当時としてはとても珍しいことで、どういう事情があったかしらないが、僕の血縁上の祖父には妻との間に娘がひとりいたが、この娘は生涯独身を通した。
彼女はやがて両親を失い、天涯孤独になった後に、自分に異母弟がいることを知り、既に成人していた僕の父に何度も面会を試みたらしいが、父は頑として会わなかった。
父が病で死にかけている時、その「姉」と言う人が人づてに僕を通して、父に会いたいむねを言ってきた。どうするかと父に聞いたところ、父は首を振っただけだった。
父は温厚な人だった。温厚でなければ生きてゆくことが出来なかった。子には人を恨むなと言っていた。
しかし彼にしてどうしても許せないことがあったのだと思うと、むしろほっとする。
その主人の家はやがて没落し、その父の姉という人もずいぶん苦労したらしい。彼女に何の罪があるわけでもない。
それでも父は、父の父にまつわる人たちを完全に遠ざけた。
父の死後、今度は「甥」である僕に会いたいむねをその人は伝えてきたが、恨みはないにしても父の息子である僕が会えるはずもなかった。
その人も先日、孤独のうちに死んだという。
だからこれは終わってしまったお話だ。
父は苦学して地位を得て、それなりに裕福になった後に結婚をして子をもうけた。だから親子といえども、育った環境は僕と父では全然違う。生きてきた時代も違う。
それでも、仮に親子でなかったとしても、父の父が、僕の父が子供だった時にした仕打ちを聞けば、酷い話だと思うし、はらわたが煮えくり返る思いがする。
それと裏返しになるように、父の父の娘が孤独のうちに死んだと聞けば、小さなカタルシスを感じる。
その人が悪いわけでは決してない。彼女はかわいそうな女性だった。それでもそう感じる。
父はもちろん一般論として息子がそのような醜い感情を抱くことを欲しはしなかっただろう。しかしこれは一般論ではない。
このようなささやかな、歴史の中に埋没してゆく個人の悲しみや痛みさえ当事者やその家族は捨て去ることが出来ない。
許すという言葉は簡単だが、それをしてしまえば、怒りを糧にして生きてきた人たちは何を頼りに生きていけばいいのだろう。
それは生きる意味を否定してしまうことにはならないか。
僕が今、自分のことではないからと言って許してしまえば、それは父の人生を否定することにはならないか。
こうして自分のことに引き寄せて考えれば、世の多くの悲劇が、そうそう簡単に決着するはずもないのだと嘆息する。
自分も不思議で、でき婚のカップルに聞いてみたんだけど、
っていう人が多いだけなのでわ。
ということではなかった。
(ちなみにモデルケース3組。それに友達からの又聞きなんかも含む)
今の制度だと「結婚」しても特にメリットがないから結婚してなかったんだけど、
子供ができると結婚しておいたほうが戸籍やら(これがイチバンでかいみたい、私生児になっちゃうから)、お互いの両親からの突き上げやら、親戚や友達の追求やら(私生児になっちゃうけどいいの?とか)を避けられるということで結婚したということだったよ。
「仕方ないから」で結婚したところで、24時間一緒の生活はすぐ破綻しちゃうしね。
んではないのかな。