はてなキーワード: 性教育とは
http://anond.hatelabo.jp/20080103114339を書いた元増田だけど、http://anond.hatelabo.jp/20080103150731は俺が書いた記事じゃないよ。
それと、俺が問題視しているのは「とっかえひっかえのセックス」それ自体ではなくて「性知識の乏しい方々がとっかえひっかえセックスする事により性感染症が拡散する危険性」です。
だから
国にとってはセックスとはいまだに生殖行為であり、子どもを欲しがる家が行う行為という認識なのだろうな。楽しみのためにセックスをする人間なんて存在しない、という建前か。
と書きました。(現実的にセックスには生殖行為以外の役割もあり、それを行っている国民は多数にのぼる。国はそれを認めた上で性教育を行うべきでしょう、という事を言いたかった)誤解させてしまったなら申し訳ない。
彼らのモラル・性知識の低さに驚かされる。
とっかえひっかえセックスをしているようだが、彼らはフェラでも性感染症にかかる可能性がある事を知らないのだろうな。
日本政府はいつまでこの現状を放っておくつもりなのだろうか。現状よりも深い性教育を義務教育に組み込まなければ、どうしようもないと思う。
それをしないという事は、国にとってはセックスとはいまだに生殖行為であり、子どもを欲しがる家が行う行為という認識なのだろうな。楽しみのためにセックスをする人間なんて存在しない、という建前か。
官僚たちはもしかしたら、このような建前を守り続けて国を滅ぼす計画でも立てているのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20071209013512
を書いた、元増田です。
結構なブックマークがついていて驚いた。
http://anond.hatelabo.jp/20071111205453
を読んで、ぶわっと沸いてでたのを
一気に書いたものなので、意味不明なところも多かったかもしれません。
でも、本人、書いた後数日はなんとも言えない気持ちでいましたが
(フタしてた感情と向き合って、どっと疲れた!と言うか)
1ヶ月近くたった今、本当に書いてよかったな、と。
トラバもらったり、
ブックマークでもらってたコメントで質問っぽいのがいくつかあったので、
順不同で答えてみます。
1)
いろんなケースがあるなぁ、と間接的に知ることになった、
の増田さんへ。
http://anond.hatelabo.jp/20071221203402
を読むかぎり、ちょっと吹っ切れたのかな。
よかったね。
彼氏さんの後者は「今、自分がとても落ち着いている」ということを
表現したいんじゃないかなぁ?と、なんとなく。
不安になる必要はないんじゃないかな??
2)
「1」にも関連するのだけど、
http://anond.hatelabo.jp/20071221165011
う??ん、私の場合と決定的に違うなぁ、と思ったのが
「事件が起きた日、私は確実に相手が恋愛対象として好きではなかった」
という部分かなぁ・・・。
スタート時点が違うから、
私が3年かかっても結局ひっくり返せなかったのとは、大違いだと思う。
なので、1の元増田さんに対しては、
彼氏、いい人っぽいから、信じてあげてほしいなぁ、と思う私がいます。
3)
読んで「こういう人も、まぁいるだろうけどさ・・・」
と思ったのが、
http://anond.hatelabo.jp/20071209162602
これは、私も元増田に対してではないんだけど、
私が触発された
http://anond.hatelabo.jp/20071111205453
に対するトラバで。。
かなりホッとしました。
そうだよね。こんな奴ばっかじゃないよね!
4)
「何故増田が謝る?彼女をそこに追い込んだのは彼だけでなく何?」
ごめんね。というのが、「3年は長いな」という事からでした。
元彼は、確かに私のことを好きでいてくれたけど、
(県外へ就職したのに、私のこともあって地元に戻ってきたりしたので)
もちろん、私は被害者ではあったのだけど、
でも、3年付き合って「いい子だな」「マジメな部分が空回りしてあの日の
暴走につながったんだよね」と、思っていたので・・・。
って、ここまで書いて、
「あ??、そうだ。そもそもの原因作ったのはやっぱり元彼なんだもん。
どんな事に対してだって、謝る必要はないんだな、私」
と、思った。
5)
「デートレイプを仕方ない、と受け入れざるを得ないのは、拒絶しても良い、という正しい情報を大人が与えていないからかも…。AVやポルノのファンタジーばかりで知識を得ているんじゃなぁ…。」
同感ですねぇ。
まぁ、その当時の元彼もAVなんかで得た知識ばっかりで、
「行動が子どもすぎる・・・」んだけど。
私には、今、娘と息子がいます。
娘には自分のような思いはさせたくない。
息子には、こんな行動はして欲しくない。
だから、性教育は、早めにちゃんと、と。
ここまで意識しなかったのかもしれないけど、
今、買って話す機会を伺ってるのが、
大葉ナナコさんの『いのちはどこからきたの?』です。
とにかく、自分と相手を大事にすること。
そのためにも、まず、子ども達が、私からはかけがいのない
存在なんだ、って事をメッセージとして伝えないといけないわけです。
9歳までには、ということなのでまだ時間はあるけど、
遅くなりすぎないように、と。。
6)
「デートレイプするような男と関係を持つ(※顔を見る、話すことも含む)女がバカ。」
うーん。
身もフタもないねー。
でもね、マジメさ故に突っ走って、というタイプ(その元彼)なら
未然に感づくのは、そもそも男性経験が皆無な当時の私には、
あまりに難度が高すぎたんですわ。
怖い。
(続く)<<明日??
●追記:
続きはコレ
最近生まれた造語である「ガチホモ」のイメージにぴったりな、30代、ボウズ、髭、バルク系筋肉質なホモである自分が、「ガチホモ」の一サンプルとしての自分の情報を10の質問にまとめたよ。
自分一人のすごく偏った例でしかないんだけど、みんなの持ってる「ガチホモ」のイメージと、どこが違って、どこが当たってるかを見てみてね!
同性愛の話になると、こういう反応をする人いますが、残念ながら、、、ご安心ください。
ガチホモどうしの間でさえ、自分のタイプに遭遇することは難しいので、たまたま目の前にいるあなたがかわいいと思われている確率は限りなく低いです。
例えて言うなら、虎子レベルの女が、「やだー、○○君、私に気があるみたい〜」と言っているかのような滑稽さがあります。
ラグビー部とか柔道部とか陸上部(投擲系限定)とかなら間違いではない。でもこういう反応しないほうがもっとかわいいよ。
しません。二丁目とかそういう系のバーの多いエリアに通いつめる人には多いのかもしれないけど、そこ以外ではそんなに主流ではないと思う。
自分の交友関係は偏っているんだけど、自分の友達にはそういうの大嫌いな人ばかりです。
「オネエMANS」に出てるような頭の芯からおばさんみたいな人たちとは、同じ空気を吸う事すらつらいよ。
どちらも外来語であまり実感ない。別にって感じ。
「『ニグロ』は差別用語だから『アフロアメリカン』って言うべきですよね。」っていう感じの情報と同じで、知識として知っていても実感はない。
ふだんの友達同士の会話でも「ホモ」って言うしね。
「ザ・ゲイ」というどぎついゲイ雑誌が昔存在していたので、「ゲイ」っていう用語のほうが自分としては気持ち悪い感がある。
全くの迷信だと思います。ゲイの服飾評論家、映画評論家、その他芸術家も多数いますが、たまたま目立ってるだけじゃないかと。
ゲイ自身にもこういうことを口走る人々が多数存在する。あたかも「自分もそうだ」と言わんばかりに。恥ずかしい事だと思う。
そういう人に限って、その舌の根も乾かぬうちに、血液型性格診断のような全く繊細さに欠けた会話を本気で楽しんだりしてるものです。
そんな単純な感覚で芸術の価値とか、ほんとにわかってんのかよ、、、と個人的には思います。(自分はそうとうに人を見下した性格ですね。)
会社には最近ばれてきてるんじゃないかと思う。でも、ばれつつあっても、あまりプライベートにつっこんでこない良い環境です。感謝してます。
基本的にしません。
兄弟だけには言ってる。兄に「お前は彼女いないのか?」としょっちゅう聞かれてて、めんどくさくなってバラしてしまった。
最初はびびってたけど、数年かけて今は大丈夫になったみたい。
親に言うつもりはない。自分は10代の頃の10年間を悩んで過ごした。同じ苦しみを、老い先短い両親に強いるわけにはいかない。
全くない。無理。
おっぱいとかほんとうにどうでもいい。ただの「皮膚と肉」っていう感じ。
女性器とかさらに無理。稲中で女性生殖器を「内臓?」って表現してたけど、まさにそういう感覚しか持てない。もしくはエイリアン。
人格的にすばらしいと思う事とか、話が合って楽しいという感覚はある。
でも宴会で「あまり近寄ったり、酔ってもたれかかったりしないでくれー!」と思うよ。「髪長っ!うざっ!」とかね。
思わない。最初はかわいかった。ある時期に自分のかわいさを彼らが自覚した頃から魅力がなくなった。
これは例えて言うなら、クラスの眼鏡っ娘で黒髪で図書委員の激萌な女子が、自分が眼鏡で図書委員であることが自分の魅力にとってプラスであることを自覚し、ある時期から「わたし眼鏡だし、図書委員だし、、、」などとあからさまに吹聴しだしたら、萌えるだろうか?ということのアナロジーで理解していただきたい。(この例えがいいのかも自信ないけど、通じるだろうか?)
今はケンドーコバヤシがかわいい。頼むからこのまま自覚しないでくれと思うよ。
一言で言うなら暗黒時代。自分は数万人に一人のレベルの異常者だと思っていました。
中学の性教育で「異性を好きになるのは自然なこと」という教育が追い打ちをかけた。あの性教育は自分にとってただの害悪。
親友(もちろん俺がホモとは知らない)と雑談中に目の前で「ホモなんか全員殺すべき」と言われたこともあって、きつかった。
今の若い連中はネットで情報が入るからこういう悩みはないだろうけど。
どうなるんだろうね?
子供は作れないし、妻がいるわけでもないし、そんなに財力があるほうでもないし。
いい男と同棲できて、長年連れ添えたとしても、どちらか片方は先に死に、もう片方が一人になってしまうんだし。
体力も衰えて、孤独死まっしぐらかもしれない。
ただ、ノンケに生まれて、妻がいて、子供がいて、財力があれば幸せかというと、じつはそれは十分条件ではないというのは、いろんなノンケ家族の話を聞いたり見たりで明らかになった。
なんらかの種類の、「前向きなあきらめ」が必要なんだろうと思います。それが何かはわからないけど。
どういう形であろうと、たとえ孤独になっても、ホームレスになっても、一人で死を迎えようとも、「それでもいい人生でした」と思えるかどうかが鍵なんだろうなあ。
読んでいただき、ありがとうございました。
あ、そっちの方が近いよね。
それにしても、誰か性教育をすることのメリットを教えてください。
「これは!!なるほど!!」
って目からウロコな解説待ってます。
「ぬかにくぎ」とか「のれんにうでおし」とかに似てるよね。
高校のころ、なんか講演会があってなんかそっち方面に学術的な意味で詳しそうなおばさんが
「ちゃんと、コンドームを着用しましょう。」
「本当に、心から信頼しあえる人と〜(以下略)」
だのなんだのぬかしてたんですけど、当時から非モテだった俺には
「こんなん俺には関係ないやん。授業の時間潰してまで長々と話すんなや。」
とか思ったんですね。
っていうのが長々とした話の内容がどうも、ある程度性交の前段階を色々経験しているということ前提で話してたんですね。これが。
あれから月日が流れ10年近く経とうとしてるんですが、
その教育でならったことを活かすチャンスはありません。
なんなんですかね。性教育って。他の授業とは明らかに何かが違いますよね。
私は"子供"が嫌いだ。
と言ったら、母性に欠けるだとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。
====
背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。同い年に見えたが実際は早生まれかもしれない。
授業と授業の間に教室間の移動やトイレに行く時間があるのだが、
私が廊下を歩いていると奴は後ろにそっと近より、さっとスカートをめくった。
この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。
スカートなので布一枚しか視線を隔てるものがない。
物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。
保健室の前、運動場、挙句の果てには校長室の前ですれ違った時まで。
痴漢は続いた。
ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。
「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃんが生まれます」
それだけ習っていたので、自分は
「もしこの男が這わせている指にセイシがくっついていて自分の体に入って赤ちゃんができたらどうしよう」
と本気で心配していた。そう考えていたことは誰にも言わなかったが。
本当に幼かったんだと思う。
痴漢にあっていたのは自分だけではなかった。
同じクラスのひとつ年下の女の子たち((確か当時自分は小学四年生くらい))もみんな被害にあっていた。
親や先生に訴えたら話を聞いてくれた。それは恐かったねと同情してくれた。
だけれどなかなか状況は変わらなかった。「話はしたんだけどね」の一点張りだった。
先生から耳打ちをされた。「あの子位の年頃はみんなするものよ。ちょっとぐらい我慢しなさい」
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
後日私は親の都合で引越しをした。
そしたらそこにはあの男が平然といた。
そして警戒していたもののやはりスカートをめくられてしまった。
何も変わっていなかった。何も解決していなかった。悔しくって涙が出た。
「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」
"小学生"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
社会に出る以上、どんな年であっても社会のルールは守らなくてはならないし
ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。
そして例えばそういった人の親や保護者も、社会に出す以上責任を負う義務があると思う。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
大人だってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。
だけども「設計図」つまり例えばDNA的な点などで
どうしても治らない本人にも誰にも非のない成長の時期があるのはまた別の話だと思う。
努力ではどうしようもないものがある。しかしそれは過ちを犯す言い訳にはなりえない。
自分が将来子供を授かったとして、もし堕胎可能な時期にその子が男の子で小学校に通うとはっきりわかったら
自分や自分の子供が傷つくだけならまだいい。苦労しようとかまわない。
だが、自分以外の見知らぬ誰かの人生を狂わせてしまうのではないかと思うと怖くて仕方ない。
匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な時期の男の子は隔離されるべきだ」と考えている。
もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。
例えば一月の男児突き落とし事件も、男性には前科があったはずだ。だが繰り返された。
わかっていたのにどうして防げなかったのか。
男の子は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。
まだたった17年しか生きていなくて知らないことのほうが多い自分だが、いま思うのはそういうことだ。
私は"知的障害者"が嫌いだ。
と言ったら、遅れている人だとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。
私は小学生の頃に通っていたスイミングスクールで"障害者"に痴漢を受けた。
====
背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。中学生に見えたが実際はどうかわからない。
プールでは順番に泳ぐので壁沿いに並んで待っている時間があるのだが、
奴は後ろに並んだ時、そっと尻の割れ目に指を這わせた。
この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。
水着なので布一枚しか隔てるものがない。
物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。
プールの中、プールサイド、挙句の果てには泳いでいてコース越しにすれ違った時まで。
痴漢は続いた。
ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。
「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃんが生まれます」
それだけ習っていたので、自分は
「もしこの男が這わせている指にセイシがくっついていて自分の体に入って赤ちゃんができたらどうしよう」
と本気で心配していた。そう考えていたことは誰にも言わなかったが。
本当に幼かったんだと思う。
痴漢にあっていたのは自分だけではなかった。
同じクラスのひとつ年下の女の子たち((確か当時自分は小学四年生くらい))もみんな被害にあっていた。
親やコーチに訴えたら話を聞いてくれた。それは恐かったねと同情してくれた。
だけれどなかなか状況は変わらなかった。「話はしたんだけどね」の一点張りだった。
母から耳打ちをされた。「あの子あの年になってお母さんと手を繋いでいたんだって。ちょっと"障害者"かなにかみたいよ」
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
その少し後のある日、私はいつもの火曜日のクラスに用事があって出れなくなって金曜日のクラスに振り替えた。
そしたらそこにはあの男が平然といた。
そして警戒していたもののやはり尻を触られてしまった。
何も変わっていなかった。何も解決していなかった。悔しくって涙が出た。
「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」
"障害者"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
社会に出る以上、どんなハンデを背負っていても社会のルールは守らなくてはならないし
ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。
そして例えばそういった人の親や保護者も、社会に出す以上責任を負う義務があると思う。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
障害じゃなくたってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。
だけども「設計図」つまり例えばDNA的な点などで
どうしても治らない本人にも誰にも非のない障害があるのはまた別の話だと思う。
努力ではどうしようもないものがある。しかしそれは過ちを犯す言い訳にはなりえない。
自分が将来子供を授かったとして、もし堕胎可能な時期にその子が障害を持つとはっきりわかったら
自分や自分の子供が傷つくだけならまだいい。苦労しようとかまわない。
だが、自分以外の見知らぬ誰かの人生を狂わせてしまうのではないかと思うと怖くて仕方ない。
匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な人間は隔離されるべきだ」と考えている。
もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。
例えば一月の男児突き落とし事件も、男性には前科があったはずだ。だが繰り返された。
わかっていたのにどうして防げなかったのか。
知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。
まだたった17年しか生きていなくて知らないことのほうが多い自分だが、いま思うのはそういうことだ。
つーか、人間なんて何にでも欲情可能なんだから、二次元とかどうでも良くね? と思う。
画像だろうが動画だろうがダッチワイフだろうが、結局のところ妄想相手に頑張ってる訳で、大した差なんてない。二次元くらいなら、異常の範疇にはならんと思うよ。
つーわけで、そんなに気にするもんでもないんじゃね?
社会的に云々ってのもあるかもしれんけど、そんな細やかな性的妄想ぐらいなら、自由でいいんじゃないかなぁ。
イギリスの性教育ビデオが2ちゃんねるのまとめサイトでネタになってたけど、俺小学生の頃性教育のビデオ見なかったんだよね。目を瞑ってたのか、仮病でサボったのか、そこまでは覚えてないけど。
なんでかっていったら、「そういうものはみてはいけない」って思っていたから。それに、友達に茶化されるのがいやだったんだよな。クラスで一番成績良くて先生ウケもよくてスポーツは苦手っていう典型的なメガネの学級委員みたいな子だったから。(別にメガネはしてなかったけど)
俺が3次元のエロ画像を初めて見たのは高2の夏で、初めてエロ本を買ったのは浪人のときで、エロビデオは一度も見たことがない。オナニーの正しい発音((ガンジーと同じ。それまではテーブルと同じ発音だと思っていた。))を知ったのは19歳のとき。
俺が二次元で抜いてた(ていうか、今もたまに)のはそういう事情が深く関わってると思う。でも、それが異常なことだって知ってたから本当に苦しかった。