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2009-04-17

在日韓国朝鮮人に関するあれこれについて

なんだかむずむずしてきたので、トラバせずに独立ポスト

個人の問題と政治外交問題をごっちゃにするな

戦後の混乱で今の韓国朝鮮すら成立していなかった状態で占領軍の判断により生まれたのが在日朝鮮人

韓国成立後は外交により国家間により在日韓国人のありようは決着済み。

北朝鮮とは国交が樹立していないにもかかわらず在日朝鮮人のありようは規定済み。

日本帰化を受け入れている。他の国からの帰化よりもはるかに優先的に。

したがって、極論すると政治的な課題は「北朝鮮とどう付き合うのか」という外交問題のみ。

個人の問題を一般論に拡大するな

在日であることによって受けたであろう個人の事象は個人のものであって、あるあるー的なノリで一般化されてはいけない。

せいぜいケーススタディになる程度。

いじめの問題を一般論で解決しようとするのと同じくらい不毛

在日であるから受ける差別いじめは、のろまだから、くさいから、とろいから、きもいから、などと同じように論理的背景などない感情論

極論すると、全てのことに「在日だから」を理由として適用するのは「左利きだから」で全てを説明しようとするのと同じように無意味

個人の問題は個人で解決せざるを得ない。在日帰化を選ぶか帰国を選ぶか在日を選ぶかは個人の自由。

母国で安穏と暮らすのも、どこぞの国で困難に挑み生きていくのも、楽園を夢見て暮らすのも選択可能であるように。

困難な状況に生れ落ちたことを悲嘆する人間世界中に溢れかえっている。

個人にとって環境普遍のものではない。選択可能である。移動自由であるから。

自由な世界を生きることが出来るのは選択した意志のある者のみ。この国のこの町に住む自分以外の自分存在しない事を自覚せよ。

決して社会に取り込まれて個人があるわけではない。

すべからく自由であるべし

自分語りで「在日」や「いじめ」を解決しようとするな。共感を求めるな。それは集団への帰属を意味する。

社会的な問題意識に個人を取り込もうとするな。それは単なる思考実験で、何も解決しない。

自由になるには個の最小単位としての自分をただ自分のままにしておくこと。それしかない。

国家社会制度を語るなら個の視点は最大公約数曖昧さに取り込まれる。

自分を縛り付けているのは全て自分の作ったルール。ならば自分を開放するのも自分の他あるまい。

開放せよ!

戯言

ネット匿名という限りなく自由な空間に、不自由な制約を持ち込んで個人を象ろうとするのは何故なんだ?

現実世界以上の楽園が作れないのは誰のせいだ?

理想郷を作ることが出来ない愚かさは現実となんら変わることがないのは何故なんだ?

俺はラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフのように無邪気な夢想家の野心を愛する。

2009-01-09

イスラエルがかわいそうになってきたよ

機械化した軍隊市民が住む街を責め立てている国にかわいそうもへったくれもないもんだが。かつて「エイリアン2」を見た女子大生が「エイリアンマザーがかわいそう」って言ったらしいわ。

ちょっとばかし昔の、ほんのひとときの中東和平時代のイスラエルを知っているので、少し落ち着いたら何か書こうと思っていたのだが、勧善懲悪ブログが目にはいって泣けてきたわ。イスラエルパレスチナ問題の難しいところは、中東和平時代、イスラエルの穏健派が国内世論を説き伏せて宥和政策をとったにもかかわらず、暴力が無くならなかったってことにある。穏健派は国内に対する面目丸つぶれ。そのうち、穏健派が頼っていたラビンが、こともあろうにイスラエル人に暗殺されてしまった。ラビン戦争の英雄でイスラエル人から尊敬されていたから「ラビンが言うなら、譲歩するか」と言っていた対パレスチナ強行派を抑えられなくなった。イスラエルの穏健派としては、なんとしてもパレスチナ側の英雄アラファトパレスチナを軟着陸させてもらいたかったが、アラファトパレスチナを穏健化出来ないまま黄泉路に発ってしまった。

ところで、他国から終わらない暴力国民にふるわれ続けたらどうする。

長く続く相互暴力ってのは、話し合いで終わらせるのが難しい。どちらも「俺の親父は奴らに殺された」「私の子供はあいつらに殺された」なんて国民を山ほど抱えている。どちらも、相手から理不尽暴力を受けていると思っている。終わらせるなら、双方が歯を食いしばって怒りを飲み込むしかない。両方を満足させるなんて出来ない。両方を泣き寝入りさせることができるだけだ。

結局、中東和平は水に流れた。両国トップの思惑ははずれて、パレスチナ側の憎悪を抑えることが出来なかった。それでパレスチナを責められるかというと、俺はそんなに潔白な人間じゃねーよ。たいていの小競り合いは些細なことがきっかけだったろうし。ただ言えるのは、パレスチナは無垢で無力な被害者なんかじゃなく、暴力をふるう当事者の立場を降りなかったってこと。

http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090108/1231411955

物事を簡単に断じることのできる頭の悪い奴にとって、戦争なんて簡単なことだ。そいつが嫌いな方が悪い。パレスチナロケット弾攻撃を加えたのが引き金になったとしても、「そんなのカンケーネー」で終わり。こいつのブログ読んでると、パレスチナ聖人君子の集まりみたいだな。イスラエルに撃ち込まれたロケット弾ってのは、あれは空から勝手に降ってきた天変地異かなにかなのか?

ハマス政治指導者のひとりであるニザール・ラヤンは、7人の子どもを含む家族もろともイスラエル軍に殺された。政治家暗殺されても政治は傷つかないというのは素敵なアイディアだ。このアイディア採用すれば、ジャーナリストが殺されても言論の自由は不滅です。

本当に、頭の悪い奴はうらやましい。こんな歪曲、おれだったら恥ずかしくて赤面モノだ。ハマス政治の柱の一つは戦闘だろうが、同志が死ねば殉教者になり、かつ国外からの支持を取り付けられる。政治の中でも憎悪と戦闘をあおる種類は特殊なんだよ。ジャーナリストを対外武装対決を叫ぶ政治組織の比喩に使うって、どんな神経だ?

記事を読んでいくと、「イスラムと非イスラムといった文明間対立」というフレーズが出てきてびっくり。文明国際法を守ろうとする近代文明)と非文明国際法スルーする未開)との戦いだと思ってたよ。

えーっと、パレスチナをこれほど高潔に持ち上げる奴が居るとは、思いも付かなかった。ハマスに殺されたイスラエル人の命はスルーなんだな。てか、こいつも本当はバカでも偏ってるわけでもないんだろうけど。単にイスラエル人の方がたくさん死んだらハマス憎しになるんだろうな。

イスラエル軍にとっては救急車も攻撃対象だ。「ハマス活動家が寄れば"テロ施設"とみなされる」のではなく、無差別攻撃正当化するためにハマス存在言い訳にしているだけなのである。

意味のない言葉遊びだなぁ、おい。ハマスって、軍事施設に絞った攻撃をしていたか?ハマスのはよい無差別攻撃イスラエルのは悪い無差別攻撃か?

「和平」はニュースピーク。オスロ合意というのは、イスラエルの入植地建設承認し、ファタハに金権力を独占させて「占領軍への協力者」(エドワード・サイード)にするためのもので、実態は「一片のチーズのように、穴だらけでほとんど中身のないもの」(イツハク・ラビン)だった。

ここから続くAll or nothing論法もすさまじいな。「完全譲歩しなかったイスラエルが悪人。パレスチナ/ハマスの言うことは全部聞け。段階的譲歩も許さない。結果として起きるすべての災厄はイスラエル責任がある」。どこのスポークスマンなんだお前は。

そろそろ寝るわ。最初に書いたが、長い時間継続している紛争の当事者に完全な正義も完全な悪もいない。イスラエルに居るおれの友達は、西岸地域の近くに家を買ったが、ようやく歩くようになった娘を抱いて国境付近を眺めながら「彼らには、もっと自治を与えるべきだと思うんだ」と言っていた。ハマスだって教義に乗っ取り市民の救済や児童の教育を行っている。パレスチナに無辜の市民が居ることを以てパレスチナ被害者と呼ぶならば、イスラエルに無辜の市民が居ることも見ろ。

なんにせよ早く戦闘が終わることを祈っている。この紛争は当事者だけじゃ絶対に終わらせられない。仲介者が必要だ。サルコジにその手腕があるかどうかはわからないが、この際、彼が粘り強く双方と交渉を続け、双方に銃を置かせることに成功することを祈るばかりだ。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226010747

OKOK。話は大変よく分かるし筋は通ってると思う。特に誤解はない。

そうすると、あなたと私の立場の違いは、国歌というのはどういう観点から誰が選ぶものなのか、そもそも何のためにあるのか、という点に関する認識の部分だと思う。

以下、三行でまとめ。

外国無視は「国際協調主義」と相容れない。

・そもそも天皇制存置と等価の問題。

・そこで「開き直り」はあり得なくね? (あと最後に大事なこと言った!)

以上終わり。…とりあえず、暇が有れば以下を読んで欲しい。

国民主権民主主義国家にあって、国歌を選ぶ主体が国民であることはまったく問題がないし(だからこそ国会国旗国歌法が定められた以上アレ国歌であることを否定はしないけれど)、その際国民でない人には一票を(たとえ間接的であっても)投じることはできない、というのは実際その通りだ。でもそれは純手続き的な意味でそうであるに過ぎないのではないかな。国の「歌」というのは単に象徴として存在するだけではなく、事実様々な場面で歌わされるものでありそれによって国民の自覚を高め団結を強めるための道具であるわけだよね。神棚に飾ってあるだけでなく、事実使う、という。

従ってそれは、大げさに言えば日本という国の国民が持つ「国家観」に関わるものだと思うのだけれど、日本という国は、私の記憶が間違っていなければ、その憲法前文で「国際協調主義」を謳っておるね。

われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

我々は日本人として『国家名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓』っているはずだと思うんだ。その点から見て、

つまり諸外国認識ヒトラー天皇であるかどうかは関係ない話では?

国民が納得するかどうかと、諸外国が納得するかどうかというのは違う話ですし、諸外国が納得しないから国歌として不適格ってのも変な話です。

…と、これを「関係ない」で押し切ることが適切かどうか、私は日本という国家の『名誉にかけて』この主張はまずいんではないかと思うがどうだろう。

さらに言うなら、そういう国際協調憲法で唱える国が、諸外国から旧戦争指導者とみなされる存在を讃える歌(そうじゃないという解釈は所詮詭弁だと思うね。戦前教育を受けた人で『君』が天皇を指さないと考える人など一人もいないよ。歌を変えないが解釈だけ都合良く切り替わるなんという説は『味噌も糞も同じにする』ようなものだ。)を「国民統合の象徴」として用いる、というのは、はたして日本という国の『名誉』の問題として、どうなのかね。

もちろんこれは、根っこのところでは天皇制を存置したことと同じ問題ではある。そして、私は先に述べたようにそれが「充分にやむを得なかった」とも考えている。昭和20年のあの時点で、占領軍には天皇制を存置する以外の現実的な選択肢は無かったという考え方に説得力を感じるよ。だから日本人占領軍はいわば「コソコソと」天皇制を続行した。君が代はその余録で残ったようなものだね。確実に言えるが、敗戦時に天皇制が廃止され天皇戦争責任が追及されていれば「日の丸君が代」は廃止されていたんじゃないかね。その状況なら「過去を振り返るためにこれは残そう」などという案は一顧だにされなかったことは確実だ。(…ただし、天皇を訴追していれば、軍の武装解除は進まず、結果確実に内戦が勃発していたと思うがね。)

そして多分その事情現在もなお変化が無いんだな。法制化された現時点でもまだ「君が代」は「コソコソと国歌らしい何か」として存在するのが唯一やむを得ない正しいあり方であり、いかなる開き直りの余地もそこには無い、と考える方が妥当だと思う。開き直った瞬間に、確実に二つ三つと戦後日本を貫いてきた論理破綻するからね。

天皇制を存置させた以上、君が代をおいて別の国歌を作ることもできず、かといって君が代を大手振って歌うことにも矛盾が残り……というダブルバインドから、我々は免れ得ないんじゃないかな。

いずれにせよ、「過去をきちんと振り返る」ということはとても大事だし、戦争を振り返ることはとても大事だ。その発想には同意する。同じ意味で「(押しつけであろうが無かろうがいずれにせよ唯一の存在としての)日本国憲法を愛し守ってきた戦後60年日本人」の歴史の重みもきちんと振り返るべき時期にきている気がするんだ。

2008-05-01

護憲とか

一種のナショナリズムだろ。我らの憲法世界一!とか、9条世界に広めよう!とか。なんか他人様に押し付けようとしてるし。幾ら愛国者でも他所の国の人に納豆食え!とか箸使え!とかなかなか押し付けないだろ。誇りに思っても普通静かに思う程度だろ。外国人にうちの憲法いいですよとか話し掛けられても困るだろ。

9条は素晴らしい!とか、それは9条を持ってる日本人は素晴らしい!作った日本人素晴らしい!てことだろ。別に占領軍素晴らしい!でもいいけど。それに本当に「良い」ものなら他国も取り入れるだろ。なんで何処も取り入れないんだよ。優秀な我ら日本人護憲派限定)にしか良さは分からないてことだろ。どんだけナショナリストだよ。

2008-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20080104191811

南京事件の実際の規模や存否を実証的に主張するのは、日本人イメージを良くする手段の一つとして考えて、それだけにこだわらずに戦争犯罪云々とは全く無関係の分野で、「日本人は優しいし、面白いし、世界の役に立つ」という印象を撒くべきではないかと

…なんか納得できんなあ。

個人的には「治安責任はあった。あれだけの殺人が行われたのは明らかに統治責任があった占領軍責任である。が、その詳細、正確な真実は広い視点から追求し続ける。それが歴史ということである」と主張したいものだけれど。

それが人類歴史に対する責任ということではないの。

まあ車売れなくなるとか変な牛買わされるとか、そういうこともあるから理想主義は貫けないかもだけどね。

2007-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20071201051256

太平洋戦争直後の日本では、実際に円が紙くず同然になった。また、多くの企業経済活動体として滅んだ。で、何がおきたか。

まず占領軍としては強権を発動しながらも、日本人奴隷として使うわけには行かないので必要な物資は買った。このときはドルと円のまぜこぜだろうが、基本的には円に収束する方向。

円、ドルどちらでも通じる話だが、お金で払おうとすると受け取った人がお金を使える経済社会がないといけない。あたりまえだ。使えないお金のために働く奴はいない。それが円でもドルでも。

とりあえず最低限の配給を進めながら、あとは経済をどうやって立て直すかと言う話になる。これが占領軍&秘占領政府の考えたこと。同時に自然発生的にあちこちで商売が始まる。たいていの奴は戦前やっていた商売の延長だが、アイデア一発で仕事を始めた奴もいる。たとえば「新聞」。どう考えたって新聞生活必需品じゃないのだが、全部焼け跡になると、誰だって何が起きているか知りたい。だから売れるだろう。或いは消息として。では新聞屋を作ろう。輪転機は?ない。紙は?ない。新聞記者は?知り合いのだれそれが文学部だそうな。そいつにやらせろ。代理店は?街頭売りから始めろ。きついよ。文句言うな。ない物を何とかする才覚と、「この金って、価値があるのか?」ということに目を瞑る肝のあった奴がたくさんいて、戦後わらわらと会社がおきた。戦後占領軍の政策がうまく行った背景には、基本的には「不正をしてはならない」「働かなければならない」というベクトルを持っていた日本人という土壌がある。占領軍経済政策の最初はそれを追認するための物資配給の整備。

そういうわけで、国が焦土となって金が紙になってもいきなり奴隷にはならないってこと。第一次生産者である農民漁民は「国のいうことなんか聞かなくても食っていける。俺は自分で作った分は自分で作る。そんな信用ならない金はいらない」と言える。しかし、これを許すと経済復興はならない。そこで農村漁村に対しては若干の脅しすかしを加えながら、国家による買取を行うことになる。一度歯車が回り始めれば、農民だって働いて金を稼ぎ始める。隣は実際に金をもらっているのだから。

http://anond.hatelabo.jp/20071201034221

共産主義というか、本当に商取引が消滅した(追記:無理やり消滅させた)世界というのはどんな感じかちょっとだけ考えてみます。

戦争に負けた国などでお金紙くずになることはあり、物々交換が広まるのですが、占領軍お金を使うので、勝った国のお金にとってかわられるか、「生きるにはそれほど必須ではないけどけっこう欲しがる人が多いもの」(タバコとか、貴金属とか)がそのうちに貨幣として使われるようになる、というのが自然の成り行きです。

その成り行きが進行せず、物々交換(あと略奪と配給)でみんなが暮らすシステムということですね。

まず、物々交換できず、配給を受けられない人が全員飢えて死にます。略奪された人も同じ。

このままではみんなが奪い合い殺しあうだけなので、とりあえず強い奴がだれか仕切ります。略奪と配給のシステムを維持するために。

こんなシステムのために働くのはいやなので逃げる人がいます。みんな逃げてしまうと食べ物もなくなるので、強制労働させます。

追記:言われたとおり真面目に働く人や、自分の分を他人に分けてあげる人はいつでも一定割合いるのでその人たちのおかげで必ずしも「地獄」にはなりません。ただ「自由」がなくなるのは確実です。怠け者には残酷な、そしてゴマすり屋が偉くなる、そんな社会になるでしょう。

2007-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20070828092134

T-800は I shall return なんて言ったっけ? I'll be back なら覚えてる。

I shall return で占領軍の司令官しか思い出せない。

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