はてなキーワード: ドナーとは
仕事で。
ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆
って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、
すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。
その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、
目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。
何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。
人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。
その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。
ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。
1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。
色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は
「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、
つまりは「死んだら、連絡ください」
ということを言った。
可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。
人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。
本当に色々な人生が人にはあって。
長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。
仕方ない。
脈は正常。
呼吸は一定。
でも植物状態。
生きてても、死んでても、なんでもいい人。
主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。
愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、
静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。
この人は、生きているのだろうか。
この人は、死んでいるんじゃないか?
もうほとんど死んでいるんじゃないか?
脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、
私は見失う。
命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。
血圧が少し、安定しない夜があった。
私は医師に報告した。
血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。
でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、
「自然に看取ってあげよう」と言った。
死っていうのはさぁ~
医療の敗亡じゃないんだよぉ~
むしろね、むやみに色々やることのほうが~
人間らしさを奪う行為にぃ~
「美しい」と思う。そういうのって。
美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。
人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。
しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。
うん。
うん。
うん。
先輩にそう伝えると、「うん・・・」
後輩にそう伝えると、「はい・・・」
私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。
その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、
全然違う話をしてたのに後輩が、
「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」
と、言った。
「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?
私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」
と先輩がクスクス笑った。
手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。
毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。
彼の名前を耳元で呼び掛ける。
体を吹く。
腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。
毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。
汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。
そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。
「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。
毎日、毎時間、違う。
脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。
どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、
この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。
わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。
生きているとしか思えない。
意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、
今ここにある命が圧倒的すぎて、
命すげぇーって思って、
死んでく人もたくさんみるからこそ、
もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、
「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、
ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。
学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、
人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、
法律とか、もう色々あるんでしょうけど、
その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、
今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。
脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。
命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。
でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。
http://www.rossoneri.jp/2009/10/18_181001.php/trackback
上のエントリがホットエントり入りして注目を集めているようなので、ちょっと補足しておく。
といっても、骨髄バンクのサイトに詳細が載っているので、目を通せばドナー登録から提供までひととおりの事は把握できるはず。
ドナー登録までのながれ
http://www.jmdp.or.jp/reg/about/flow.html
骨髄提供までのながれ
http://www.jmdp.or.jp/donation/about/
骨髄バンクによると、術前の検査通院が数回、手術期間が平均3泊4日、術後の検査が数回。手術は病院の都合があるから、ほとんどは平日に行われるみたい。
休みがなかなか取れない人はこの時点でドナーになるのは難しいかもね。
骨髄バンクがドナー全員からアンケートをとってる。アンケート結果によると、3ヶ月後に痛みがかなりあると答えたドナーは0%、少しあるは8%、ないと答えたドナーは92%。元エントリの方は痛みが強く出た症例といえるのかも。
残念ながら合併症の例もあるから、ドナーになるならよく目を通しておいたほうがいい。
http://www.jmdp.or.jp/donation/experience/enquete.html
ブコメで「提供したら金が貰える様にしろ」という話があったけど、ドナーの入院費用や手術費用は、全て患者の負担なんだよね。術前の検診費から手術費、術後の検診費まで、ドナーが個室を使ってもそれは全て患者持ち。費用は30万前後。これ以上患者に負担させるのはどうだろうか。
直接ではないが、ドナーになることで給付金が支払われる保険っていうのがあるよ。大体入院給付日額の20倍とか、一時金で5万~30万くらい。ドナーを考えている人は医療保険選ぶ時に視野に入れておくといいかも。
http://www.jmdp.or.jp/donation/about/benefit.html
今は会えない。骨髄提供後1年以内に2通まで双方が手紙が出せるだけ。金品の取次ぎもダメ。
これは結構反対意見が多くて、骨髄バンク推進全国大会でも患者側、ドナー側双方から対面を実現させようという意見が出てる。骨髄バンクも実現に向けて厚生労働省へ申し入れを行っているらしいけど、まだ認められていない。そのうち認められるといいね。
骨髄バンクのサイトにはこれより100倍解りやすく記載されてるから、興味がある人は読んでみるといいよ。
ブコメで「善意に頼ったシステムでは上手くいくはずがない」という意見があったけど、青臭いかもしれないけど、自分はそういうのはちょっと寂しいと思ってしまう。ドナーになった時には旨みがないシステムかもしれないけど、自分が患者になった時のことを考えたら、そんなに悪いシステムでもないんじゃないかな。
週末になってもモテ・非モテだとか、くだらない揚げ足取りの議論とかホントヒマだね、みんな。
みんな自分で下らないことやってる、って気付いてるんだろ?やることないだけなんだろ?
新宿でもアキバでもできるからさ。 http://www.jmdp.or.jp/reg/recept/kanto.html#tokyo
モテ指南の「ナンパしろ」みたいに大した勇気いらないじゃん。アキバ行って血をちょっと抜かれるだけなんだからさ。
モテも非モテも、マッチョもウィンプも、ライフハック(笑)もスイーツ(笑)も、メンヘラもニートも自殺志願者もみんな登録すればいいよ。
ここにいるやつらの何割かは「自分なんか生きてる価値ない」とかって思ってる卑屈なやつなんだろ。
お前が自分の生きる意味がわかんなくても、「死にたくない」って思ってる患者の命が助けれるかもしれないんだよ。すごくね?
メンヘラで抗うつ薬飲んでるから献血できない、ってやつも大丈夫。ドナー登録はできるから。
ついでにC型肝炎やエイズの検査もしてもらえて一石二鳥。最近注射の使いまわし問題になってるから童貞も安心できねーぞ。
でも骨髄移植って怖そうだし、って思ってるやつ。そんなことは後で考えればいい。ドナー登録は血を抜くだけだから。
登録後に、骨髄が適合する人が見つかった場合に改めてドナーになるかどうか聞かれるから。そんとき真面目に悩めばいいよ。
そんときゃ断ったって全然いい。とりあえず登録だけして見ろ。実際俺も登録したけど全然提供依頼こねーし。
最後に、北方風に、まとめるぞ?
献血可能な年齢になってからこっち10回以上は献血にチャレンジしているのだけれど、成功した試しがない。血管細い&比重軽いの二重苦。弟が輸血にはとてもお世話になったのでできれば全力で献血したいのだけど、なんかもう無理なのかな……という気がする今日この頃。献血したいという情熱をもてあまし気味。
できれば献血できる人にはして欲しいと思う。つーか健康な血液と立派な血管を持ってるのに献血しないなんて勿体無い!!
とりあえず無駄に献血いって手間掛けさせるよりは骨髄ドナー登録でも検討しようかなあ<こういうのも血管細いと難しかったりするのかな。先端医療でそんなことはないか。
「勝手に生んで勝手に育てろ」の中の人だが、ちょっとこれ、女性ドナー登録の説明を見てたら、いいかなと思えてきちゃった。一生結婚も出産もしないだろうし(予定外に妊娠して遠くに行く事態にでもならない限り)、こういう形で貢献出来るのなら、それもいいかも。
http://www.threeweb.ad.jp/~excelle/bosyu.html
先に述べたとおり、不妊夫婦のドナーとなるには、夫の「影武者」としての資質が
必要です。(利用者がシングルマザー希望の女性の場合、この資質は問わせません)
顔つき・雰囲気が似ていることに加え、遺伝子という人体の基本的な設計図を提供
特別優秀であることが必要ではないっぽい。むしろ夫に似ている人が見つかるように、多様な人(顔つき、雰囲気)の登録が求められるのでは。超優秀者ってのは米芸能人シングルマザー出産のイメージかな。
「死ぬ」という結果だけを得て、同時になるべく周囲に迷惑をかけないようにするとしたら、どういう方法があるかな。
たとえば自分が死んだとき、死体から取れるものは全部取って有効に使ってもらいたいという意志を示しておく。
「臓器ドナーカード」というのがあるから、そこにサインしておくなど。
加えて、ドナーとなる死体はなるべく新鮮で、かつ傷の少ない状態がよいだろう。
病院の前で、自分で自分の首を切り落とすのがいいかもしれない。(血がだいぶこぼれそうだから、血のニーズがあるならほかの方法で)
そんな方法はどうだろうかと考えた。
念のため、自殺そのものは日本では罪にならないですよね? いや罪だとしてもちゃんと死ねば罰もないけど。
ここまで書いて、「夢が無い人」に追記があるのに気づいた。臓器提供の意志はないと。死ぬ方法も考えてあると。それならそれでまあいいです。
うつになった人は、大きな決定をしないのがよいそうだ。病気によって、離婚や退職、自殺など後戻りしづらい決定を自ら下してしまうことがあるから。
「夢が無い人」は一度精神科か心療内科にでも行ってみたらいいかもしれない。
「夢がある人」になりたくないわけではなさそうだし。
藤子F不二雄の作品「21エモン」に登場。
ある星では科学技術の発達によって不老不死が実現していた。もう十分生きたと考えた人は「ゼロ次元」へ転送してもらい、そこで無になることができるというもの。