はてなキーワード: ゲームオーバーとは
「甘え」「怠け」「逃げ」「勘違い」と指摘されたらゲームオーバーっていう優越感ゲームから一度脱してみるってのも一つの手かなー、とか個人的には思う。
ダメ人間はこの強烈かつ不可視性の高い優越感ゲームの最下層カーストにいて、常に上のカーストの人間の罵倒・嘲笑を受けながら、変われ(=カーストを一段でも登って来い)と怒鳴られ続けられてるように感じてる人が多いと思う。
「そもそも、なんでこんなカースト必死で登んなきゃなんないの?」とかスネても不思議じゃない。「変わること=カーストを登ること」になっちゃってる。しかもこのカースト、「生きていていい人間」と「死んだ方がいい人間」のライン引きするような強烈なカースト。
本当に変わることってそういうことじゃないと思う(それがきっかけになることがあるかもしれないけど)。
・・・というのが、ダメ人間の俺の考えた屁理屈。ダメ人間って、脳内に強硬派ひきこもり更正家の長田百合子みたいな人が常駐していて、その頭の中にいる人の鳴り止まない罵倒・説教から脆弱な自我を防衛するのが精一杯っていう俺みたいな人も少なくないと思うんだよ・・・。
*育乳物語(仮題)
女の子を理想のおっぱいに育てるために然るべき教育を五年間施していく。
目標のサイズと形を最初に設定しておいて、その数値にピッタリ一致させるべく女の子にさまざまな課題を与える。
運動や食事制限、体調管理やその他各種イベントをこなしていく。
育てる女の子はそれぞれ性格が違い、また目指すサイズ等によっても適切な育乳指導が異なる。
女の子たちの体調やメンタリティが崩れると、やけ食いや摂食不良と言ったトラブルに見舞われる。
フラグをちゃんと立てていれば、おっぱい女王からプレイヤーのお嫁さんまで様々な職業につくEDを迎える。
育成途中で女の子が誘惑してくるイベントが度々あるが、そのとき主人公(プレイヤー)の性欲値が理性値を越えると
女の子と不適切な関係に陥って育乳士の免許を剥奪されてゲームオーバーとなる。
あなたは果たして真の愛をおっぱいに注げるだろうか。
大体こんな感じでゲス。
今ならこの企画を希望される企業に無料でお譲りする所存でゲス。
この語尾ですか?これは俺が下衆だからでゲス。
恐らくwin使いだろうし、win2k or winXP辺りだと思うので、JavaかVC辺りで作るといいと思う。
言語間の壁はそれほど厚くもないので、駄目なら言語間移植すれば言いだけの話。
初めてのゲームという事で、根本的な構造が把握できずに理解し辛いんだと思う。
作ってきたサンプルプログラムは「こうしたらこうなる」みたいな1動作1画面的な物が多いけど、
ゲームは基本的に何かあるごとに別画面。言ってみれば別のプログラムみたいな感じ。
1.ベース部分に現在どんな画面(タイトル、ゲーム本体、ゲームオーバー画面など)を表示しているかの振り分け処理を置く。この処理がゲーム中ずっと2と3の処理を呼び出し続ける。(2で終了処理をするか、ウインドウを閉じたら終了)
2.それぞれの画面内の動作(タイトルならモードセレクト、本体ならブロックを動かす処理など)を処理する関数に飛ばして処理。
3.それぞれの画面の表示処理(タイトルなら背景とモードの一覧とカーソル)を行う。
とにかく、ユーザからの処理を待っている間も常にプログラムが動きつづけていると言う感覚を理解しないと、ゲームのプログラムは理解し辛い。
ゲームの基本構造がわかるサンプル(1000行以下位)をまずどこかから持ってきて、印刷して全部読む。
賛同するやつはゆとりだの何だの批判やらいろいろあるけど、ここまでの反応があるのは正直凄いな。
便乗でマジレスやらネタやらあるし、書いた本人もちょっとした快感があるんじゃないかな。
人生をゲームと形容するには単純すぎるとかいう意見も多そう、いいイベントなんかも頑張り次第っぽいし、自分の行動に関係ない突然のゲームオーバーやら何やら難易度も相当高いだろうな。
スタートが全員同様なラインでないことも腑に落ちないかもしれん。
まぁ神ゲーが糞ゲーかはスタートとか周辺環境次第で人それぞれって言ったらおしまいなんだけど、自分にしか体験できないシナリオって言う意味でオリジナリティという部分は一番ではあるよね。
ゆとりだから神ゲーとか言うんだよって言うおっさんを見るとほんとおっさんにはなりたくないよなーと思うな。
エンディングに迫った人たちは何て言うのかな。
ここ2、3週間なんだかものすごく忙しい。
仕事が「楽しい」とか、「楽しくない」とか、もはやそういうレベルではなくて、
とにかくもう追いかけられている状態。走り続けないと死ぬ、みたいな。
実際のところはヌルい環境で仕事をしてきたツケが、自分のキャパオーバーに
変化しただけなのかもしれないと思えるところが結構痛かったり。
キャパオーバーが故に、必然的に複数の仕事を効率よくまわそうとすることに
フォーカスしてしまう。
はい、その結果は・・・・・・
まぁ出口のないダンジョンに飛び込んだ感じで、しかも毒沼みたいな。
ただただ着々と体力が減っていくような、そんな感じ。
これを乗り越えるとレベルアップなんてするのかなーとも思えなくもないけど、
その前にゲームオーバーになるかもしれないので、こまめにホイミ。
量と質の両立っていつになったらできるのかなー?
悟りの書がホスィ。
朝、ふと起きたら失踪したくなった。
誰一人知り合いのいない街で、適当にバイトをして生きていきたい。
もちろんそんな事はできないのは分かっている。
二年ほど前、擬似失踪を試したことがあった。
ルールはこの二つ。
携帯電話の電源を切るだけで準備は整った。
何のことはない、僕にとって人間関係とはつまり、この端末なのだと思った。
この試みは三週間ほどで終わりを告げた。
さすがに携帯電話の電源が切れていたのはまずかったらしい。
いま入っている予定のうち、一番最後が三月の第一週。
これを過ぎてもまだ失踪したかったら、もう一回擬似失踪してみようと思う。
前回の反省を踏まえて、携帯電話の電源は入れておこうと思う。
そのときには、ここに「失踪日記」でも書こうかな。
アフリカで生まれました。誕生日を迎える前に餓死しました。→ゲームオーバー
中国で生まれました。農家の次男で、戸籍がありません。都会に出てこき使われています。
環境の条件が違う上に、なにが幸せかという評価基準は本人にしか分からない。もちろん、同じ人間である以上、ある程度の共有できる価値観はあるけれど。
ひとりひとりのプレイしているゲームが違う訳で、自分の人生と他人の人生は単純には比較できない。というか、他人と比較すれば比較するほど苦しくなる。上を見ても下を見ても。
でも、そう簡単に割り切れない部分があるのも確かだ。若かったり、苦労をしていなかったり、愚かだったりすると余計にそれができない。
だが、それほど気にする必要はないと思った。
そのうち、それほど気にならなくなるから。
続き。
ぼくは人間関係においての決定的瞬間、いわゆるフラグというのが本当にあるのかどうか知らない。けれど、もしあるとするならこれがそうだったのだろうとも思う。そのときまで、ぼくと彼女はお互い微妙な距離を保っていた。ぼくはいまいち踏み込めずにいた。
そのときぼくは、離れたところに住んでいる友達のところに泊まりで遊びに行っていた。そのことを彼女にショートメッセージで送って、メッセージが何往復かした後、そのメッセージは届いた。「一緒に旅行、行きたいね」。ぼくは戸惑った。なんて返せばいいのだろう。数年後のぼく、つまり今のぼくは、「そうだね」くらいで適当にすませればいいのに、と思う。なんなら「じゃあ、どこに行こうか?」なんて付け加えてもいい。
でも当時のぼくは、そんなメッセージは送れなかった。その挙句、返さないという最悪の選択肢の次に悪いんじゃないだろうかという返事を出した。何冗談言ってるの?とそのままではないけれど、それに類するような文章。せめて、「本気にしちゃうよ」くらいつければいいのに。ゲームオーバー。バッドエンド。
その後、急速に付き合いが薄くなった。かどうかは覚えていない。けれど、そのときから何回目かの同期の飲み会で、彼女が他の同期と付き合い始めたことを知った。さらにその後、彼女の姓が変わった。
一通のメールで、そこまで思い出して(さすがに最後の段落は忘れるわけはないけれど、その前のメッセージのやり取りは結構本気で忘れかけていた)、忘れるべくして忘れたんだろうなと思った。そしてふと、ぼくは最初に発見したメールになんて返したんだろうと思った。もちろん、送信ボックスを覗けば、ぼくがなんて返したのかは(あるいは、何も返さなかったのかは)分かる。けれど、それを探してはいない。
最後に。「ぼく」と「彼女」は実在する。けれど、この話はフィクションだ。どこまでが本当で、どこまでが嘘かはもうぼくにもわからない。