はてなキーワード: クロノトリガーとは
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82年生まれです。
ニコニコ動画のゲームカテゴリで見ても、以下のゲームが頻出するのにちょっと違和感が↓
これって、85年生まれ以下の価値観な気がするんだよなあ。
「クロノトリガー」
そして忘れちゃいけない「初代ポケモン」
85年生まれ以下にとって、これら後期SFC作品は小学校高学年。まさに「傍らにあったゲーム」なんだろうけど、
このころちょうど中二病のきらいがあった自分は、イマイチ「乗れなかった」んだよなあ。
「DQ5」(「エスタークをXXターン以内で……」は、もはや都市伝説)
「FF5」(こっちもモアイ像の内部に入りたくて、宝箱回収率100%を目指したっけ)
「聖剣伝説2」(漢字のテストで「せいけん交代」を聖剣と書いた男子、続出)
でもこの辺の中期SFCソフトは、ニコニコの字幕なんか見ても、それほどピンと来ていない人が多いように感じるんだ。
何も調べていない印象で語って、申し訳ないんだけど。
自分のリアルにいる85年生まれ以下を見てて思うんだけど、彼らって団結が強い傾向にあるのね。
同世代での協調意識が強い、というか。
85-88年辺りの奴らは、日ごろから本当によくつるんでいるように感じる。
それに比べると、82-84年生まれはそんなに「群れない」印象があるなあ。
さらにその下の平成生まれは、よく分かりませんw
ネットの世界でも、2chのvipなんかに見られる纏まりの強さやフットワークの軽さは、85年生まれ以下っぽいなあと感じる。
そして彼らがそのままニコニコに流れ、現在の雰囲気を作っているような気がするのです。
この辺の「クラスター感」が、82年生まれの自分からは少し羨ましいなあ、と。
ついでに言えば、オタク第3世代と第4世代を区別する分水嶺も、この85年辺りにあるような気がする。
あと思ったんだけど、82-84年生まれはマーケティング的に「忘れられた世代」なのかもしれない。
90年代の中後半で、コギャルだなんだとメディアにはやし立てられたのが、自分たちよりちょっと上。
6ポケット(両親、両祖父母)と言われ、子供の消費動向に注目が集まったのは、前述した85年生まれ以下。
ちょうどその境目にいるのが、82-84年生まれというイメージだったり。
終始まとまりの無い、くだらない世代論になってしまった。
申し訳ない。
が好きだ。
いいね。
そして煌びやかな街。お祭り気分。
いいね。
華やかだね。
自分にゃ相手も予定も何もないけどこういうの好きだぜ
特に何もないけどこういうウキウキ感、イベント感、祭り感を味わいたくて街に出た。
すごいよ、マジでカップルが多いんだこれが。
しかも、すごくイチャついてるんだよこれが。
思えばカップルなんて、自分、そうそう見ないよ。
街へ行く電車の中、腰掛けてる二人のカップルすげえよ、一人が一人の肩にコツンと顔乗せてる。すげえ、漫画みたいだな。
とか思いきや、今度はすぐ隣で、カップル一歩手前みたいな男女二人組みが照れくさそうに会話をしている。これがまた中身のない会話なんだよ。カップル一歩手前らしいっていうかなんていうか。このマフラーどこで買ったの?面白いね。ていうか混んでるよね電車。混んでるね。突然ガタンってなったらヤバいよね。ヤバいよー。って感じの。中身ないけど本人達はその空間が幸せそうなんよね。これだよこれ。コレがクリスマスだよ。
そんで街につくとクリスマスツリーの前で若いお父さんが若いお母さんと幼稚園児の写メを撮っている。超笑顔だよこの人たち。いいさいいさ。撮るがいい。自分はここで待ってますから。撮り終わるまで横切りませんから。
ウィンドウショッピングとやらにでもしけこむかいと思って歩いてみれば、またカップル。カップル。カップル。後ろ向いても横向いてもカップル。or店員。これどうかなー?いいんじゃない?似合うよ。こっちは?うーん、赤の方がいいかも。とか、会話してます。してます。なんだこれ、お手本のようなカップルだよ。カップル教習所とかあったら絶対ビデオに収まってるよ。この人たち。
エスカレーターへ乗ったら、「二人一組で乗ってくださーい」って店員が言ってるのに、自分の隣を避ける、男性達。……なんでやねん。自分は臭いのか?とクリスマス初ショックを受ける自分。でもクロノトリガーのサントラを聞いてなんとか気を落ち着かせる。
エスカレーターへ乗るとますます実感する。カップルか家族かそうでなければ友達二人組みか。たまたまガチの用事で寄ったとみえる中年男性くらいしか独り身はいない。その中で若い女一人でブーラブラするこのある種の快感といったら無い。ああ、なんて惨めな!一人だぜ、オイ!私は一人だぜ!皆こんなに相手がいるのに!と思うとこうなんかゾクゾクっとくるのである。興奮してくるのである(not性的)。感覚としてはunoの最中「ウノ!」と宣言した後の一周を待つ気分に近いゾクゾク感。別にマゾではない。
そんなこんなで街は実にクリスマスで、とても楽しかった。
たくさんの人がいる中で、自分の世界へ入るというのはとてつもない快感だ……
クリスマス万歳!
今度SFCのソフトを大量に持っている奴から、何本か貸して貰える事になった。
所持ソフトのリストをプリントして貰ったものの、正直やる時間もあまり取れないし、選ぶのに困っている。俺はMOTHER2とFF4、5、6と、DQ5、6と、マリオ位しかやった事がないんだ。
クロノトリガーとロマサガ1、2、3はとりあえず貸して貰う予定。
ファイヤーエムブレム聖戦の系譜とタクティクスオウガとクロックタワーがあった!
ふひひひひ、サーセンwwwww
RPGしかやった事ない上に(アクションが下手)、やった事がないRPG+評価高いので知ってるのってコレ位なんでwwwwwww
ダメすなぁ。ついに夜中にレディへ聴きながら涙ぐむような精神状態になってきたすなあ。ざ・ファッション欝でございます。ファッション鬱ほどヴざいものはないよねー。「もう死にたい…」。じゃあさっさとしねばいいじゃない。
さて、じゃあ死にたくない俺はなんと罵倒されるのが妥当なのでしょう。「じゃあ生きればいいじゃない」とかですか?頑張って生きてるんだけど、いかんせん右手の親指が痛い。キーボード操作でゲームやりすぎたせいで右手の親指が腱鞘炎疑惑。俺がグレイプバインのベーシストであったならそろそろ脱退の時期であろう。それぐらい痛い。
そんな俺はいわば少し鬱っぽい時期の堂本剛。どんなに貸す散るのパクリ歌唱とみんなが石を投げ付けようとも俺は堂本剛をかばいます。彼は緑色のグレッチを所有している好青年です。それに比べて、トキオ松岡の俗っぽい司会者ぶりといったらありゃしない。なんかたまたま動画見ただけだが、あれはひどい。僕は彼と対峙する勇気がない。
だからどうしたのかとトハレ?トワレ?今ガチで「問われる」の読み仮名がとびました。ダメかもしれない。だんだんと「鬱っぽいってウソだろ」という視線が集まり始めた気がしています。それとももう最初の産業で…三行すら変換できないこの携帯と付き合っていく自信がもうありませんが、確かに俺は全然鬱ではない。当たり前だバカ。ただ、なぜこんな真夜中に真っ暗な部屋で携帯を握り締めて痛みの走る親指を酷使しているのかと問われれば!トワレれば!コメントでもつけばなんとなく日常の幸せ量が増えるからだと言いましょう。
昨日、大学にゼミの何人かで集まりましてね、課題の文章を泊まり掛けで書いたりしていたわけなのですが、もう終わったら終わったで酒が飲みたくて飲みたくてね。普段ジュースばっかだから、家で酒なんか飲みませんよ?下手したら毎日Qoo飲んでOLから絶大な支持。まぁ飲んだかは定かにいたしませんが(ここで、元野球選手の定岡ってもうテレビでまったくみねえなと思う)、酔っ払ったときの自分の笑い方の特徴を把握した、とだけ言っておきます。
久しぶりに何にも考えずテンション高くなれて非常に楽しかった。あまり現われることのない、適度にテンションの高い自分のことを俺は愛してます。そんな愛すべき俺は、「日常のモチベーションって何で保ってるの」と聞かれ、とても言語化するのが難しい議題だなあ一体俺は何が楽しいのでしょうと思いつつ、「なんか日常の小さな幸せの積み重ねとか」と答えていました。素面の下等民族である今の俺では到底言えない台詞。惚れる。いっそのこと掘られてもいい。俺のケツなど消耗品だ。確かに毎週月曜にジャンプが読めなくなったら俺の目は死ぬ。ちなみに、鏡を見るたびに俺は目が生きているか確かめますが、今のところなんとか生きています。こうして俺はもうしばらくしたら、電車の中でジャンプを読むサラリーマンの仲間入り。
ここでさきほどの日常幸せ量子論に帰結。
確かにクロノトリガーを三日間ひたすらプレイし、時間を無駄遣いした俺はバカです。じゃあアレですか。もっと学生時代にしかできない有意義なことにでも時間を使えばいいのだろうか。有意義なものってなにかね。できることであるならば、それこそ毎日酒飲んで殴りあいでもしてクソみたいなことを共有することのほうが比べものにならないほど重要視するべき(一番)。 いや、まあ全部ウソ。ホントは俺だってたまには充実した日常の光景でも日記に晒したい。やりたいことがある、頑張っている人間が輝いている(二番)ことぐらいゆら帝風に言えば俺は三歳で気付いてます。
で、この本音と建前、どう扱おうか。どっちもいらないんじゃないか説が出てくるわけで、なんかアレだ。うまく説明できず、ハルヒの長門風に言えば情報の伝達に齟齬が発生するかもしれませんが、ネガティブな意味ではなく、現実逃避なニュアンスがない感じで、「一体それが何になる」だ(三番)。
以上、この三つをバランスよく組み立てて臨機応変に生きたいものです。二番目多めが一番よろし。要は、得たことなんて最終的には死んでしまえば全て無くなるし何の役にも立たねえと思いつつもそんなことはおくびにもださず人生には手を抜かず輝く人間。これが理想。