はてなキーワード: お稽古とは
いやもう、ただの愚痴ですよ。
仕事あがって、ない時間やりくりして保護者会の会合に参加した帰り間際の雑談での発言
セレブ(笑)「Aさん(わたし)って、エラいわよねぇ。女手1つで2人のお子さん育てながら、昼間は仕事も頑張って」
わたし「はあ、まあわたしが見れないときは実家で面倒看てもらえてますし、職場も理解があるのでなんとか・・・と言うか、働かないと食べていけませんので」
セレブ(笑)「うちなんか、姑が2人目はまだかなんて言ってくるけど、とてもとても」
B美「あら、セレブ(笑)さんところなんて旦那さんの稼ぎも良いし専業主婦だから、まだ2人目どころか3人目だっていけるんじゃない?」
セレブ(笑)「とんでもない、お稽古事の月謝やお受験の準備と私立行ったときの授業料考えたらとてもとても」
大体、普段から年収自慢してるあんたんところで養育費を理由に子育て大変なんて言われた日には、腸煮えくり返って温泉卵が出来るっての
潤沢な生活費があって身体的な問題も無いのに、夫婦2人掛りで1人しか子育て出来ないなんて、どんだけ欠陥品ですかっての?セレブ(笑)が聞いて呆れるね
では、都内の私立に進学したいって場合は?
バカには何言ってもだめか
ばかばかしー。
いや必要条件なわけねえだろ。あるところを選んで行けばいいんだから。
俺の成績だとそこしか選べない、っていうのは考慮に値しないだろ。
生活保護世帯の家庭で育った子供は生活保護を受ける確率が高いという調査結果が既に出ている。
それは様々な要因が絡んでいるのだが、一つに高等教育を受ける機会が失われるということ、そして成功体験の無さや劣等感によって学習や勤労の意欲までが低い状態にあるということ。
お前さんが幾ら贅沢だ贅沢だと主張したところで、そういう結果が出てるのよ、分かる?
「お稽古ごとが好きなようにできない」ことから「そういう結果が出てる」まで全然つながっていないんだが。
どうしてそこまで飛躍できるのか、要するに「裕福でない状態」がまったく想像できないから、お稽古ごとも好きにできない→貧困→生活保護で直結してる。
そう大上段に構えて大いばりできるような認識でもねえだろ。むしろ恥を知れ。
どこのぼっちゃんが知らんが、釣りかと思うくらい想定する生活水準高すぎ。
時間の融通が利くバイト探すとか安アパート&自炊で生活費節約とか、いろいろ手はあるが、地方の大学なら月に6万もあれば生活できる。
まかないつきの寮に入ればさらに2万は浮く。
では、都内の私立に進学したいって場合は?
私立の医大は高いぜ、芸術系もな。理系は専門書も高いし今はパソコン持ってなきゃ話にならんだろ。
こうすれば出来るってのは、その条件から外れると途端に厳しくなるってことなんだぜ。
賄い付き寮なんてあるのかよ、今時。
「あるところもありますよ」じゃダメなんだよ、必要条件なの、分かる?
お稽古ごと「まで」って……
どこまでお坊ちゃんか。
もはや言葉もない。
こういう感性の人間が、俺はがんばったなんていうからどんどん基準が厳しくなってしまうわけだ。
団塊世代とか、俺たちの若い頃はもっと貧しくて~と言い出すのと全く一緒。
周りが皆貧乏で皆我慢している状態であれば劣等感を感じなくても、周りの子はあれを持ってるあれをしてるって状態で、自分は貧乏だから我慢しなくちゃいけないという思いは劣等感として子供を蝕む。
生活保護世帯の家庭で育った子供は生活保護を受ける確率が高いという調査結果が既に出ている。
それは様々な要因が絡んでいるのだが、一つに高等教育を受ける機会が失われるということ、そして成功体験の無さや劣等感によって学習や勤労の意欲までが低い状態にあるということ。
お前さんが幾ら贅沢だ贅沢だと主張したところで、そういう結果が出てるのよ、分かる?
どこのぼっちゃんが知らんが、釣りかと思うくらい想定する生活水準高すぎ。
時間の融通が利くバイト探すとか安アパート&自炊で生活費節約とか、いろいろ手はあるが、地方の大学なら月に6万もあれば生活できる。
まかないつきの寮に入ればさらに2万は浮く。
二重に間違っている。
・意味が無いわけがない。
・元発言は「出来る子には~」とは書いてない。むしろ家庭年収次第だとを書いてる。
それに貧困の問題は進学に掛かる費用だけの問題じゃない。小学校時代から、玩具や稽古事まで我慢させねばならず、友達の輪に入れないとかイジメの標的になる場合もある。
お稽古ごと「まで」って……
どこまでお坊ちゃんか。
もはや言葉もない。
鹿児島県・奄美群島の公立中学校で男子生徒に頭髪の丸刈りを強制する校則は「生徒の人権侵害」というニュースをみた。
自分は20年ぐらい前に関東圏の田舎町の中学を卒業したけど、くだんのニュースと同じく入学時に丸刈り強制だった。
卒業後何年かして、細川政権時代の大臣が「男子生徒が皆丸刈りであるのをみると、戦争時代のようでゾッとする」というような発言がきっかけで
(追記:在学中は生徒会が中心となって丸刈り廃止運動があったが受け入れられずにいた。あまりハデにやると内申書に響くと皆思ってたのかもしれない)
学区制が撤廃されなければ、さいたま市内にある某公立中学への進学となるが、
さすがに丸刈り強制はないだろうなぁなんて思っていたらびっくり仰天、
何かしら部活動に入部しなければいけない校則がある中学のようだ。
自分の中学時代も、丸坊主と共に何かしら部活動に入部しなければならなかった。
しかし運動部が殆どで、文化部といったら吹奏楽部で女子しか居ない。
先輩や体育会系顧問からの理不尽な要求に否応なく従わされられる、
朝練や休日の練習、近隣中学との試合に多くの時間を割かれてしまう。
前向きにとらえれば、練習するのだからキツいのは当然で、
様々な活動によって心身の鍛練になると…
決して悪いことではないだろう。
しかし、それは自分で選んだ道であればこそ意義のあるもので、
やる気も無いのに無理矢理参加させられ、意味もなく顧問から怒鳴られて結局は凹むだけ。
中学のクラスメイトと仲が良かったから登校拒否になるほどではかかったけれど、
こと強制参加させられた部活動に於いては良い思い出が全くといっていいほど無かった。
(それでも前向きに3年間の部活をこなせられたのは親のサポートもあったから)
家を買うときそのあたりを詳しく調べなかった自分を悔いている。なんてことだろう。
そして自分の血を受け継いだのか、子供は部活動の強制参加には否定的だ(苦笑)。
小学校中学年の時に始めたお稽古事に没頭したいと言っているし自分もそうさせたい。
やる気の無い人を強制的に部活動に参加させていったい何の意義があるのだろう。
親としては、そういう場に参加してこそのプラス面を説得させるべきだろうか。
長い人生の中で高々3年間の短い修行みたいなものと思わせれば良いだろうか。
「やる気が無いのだったら行く(参加する)必要もない」と、ローカルルールを無視させて結果的に孤立させてしまうわけにもいかないとも思っている。
制度が変わらなければ結局はそこに馴染むしか無いだろうと今は思っているが、
当然、納得などしてない(子供の前でそういう態度はとってないにしても)。
こんなこと書くとモンスターペアレンツだと、私立でも通わせろと、違う地域でも引っ越せばよいだろうと非難されるかもしれないが、
経済的に私立には行かせられないし、違う地域への引っ越しも今の環境下では現実的でない。
この地域では政令指定都市といえども、都心のように自由に学区を選べる状態でない。
ただ、根本的なところで、なぜ部活動が強制参加なのか、合理的理由が分からぬままでいるので、
子供が通うであろう中学のHPを閲覧する限りでは、文化部には吹奏楽や美術部などなどいくつかあるようです。
http://anond.hatelabo.jp/20080520124758
http://d.hatena.ne.jp/gyu-san/20080519/1211213869
このへん。
なんで「女子男子の話じゃなくない?」という「コミュ拘束」の話が男女の話になるのか僕の考えた事を書いてみる。(ちなみに男です。ま宣言しても意味ないけどな。)そもそも男といる方が楽とか女といる方が楽しいとかって言い方自体、対象をひとりの人間として見てない時点でどうしようもないんだけど、あえて男女論にいってみる。
男に比べて女の方が比較的「コミュ拘束」から逃れにくいか。なんでかちゅうと簡単に言えば「女は一人で生きていくのは難しい」という歴史が長かったからだと思う(近代くらいからなのかな?いずれちゃんと勉強します。)。現代は少なくとも建前上は男女平等機会均等が求められてる。でも昔はたったひとりで仕事を得て自活する事、財産を相続する事、もちろん例外もたくさんいますが多くはほとんど縁がなかったはず。少なくとも男に比べれば相当不利だったでしょう。文化的な事(スポーツとか創作活動など)もお稽古ごと程度に済ませるべきで本気で取り組むと「そんな事やってるとお嫁に行けません!」となる。
ちっちゃな頃からずーっとそういう空気にさらされて生きていく。そうすっとひとりでアイデンティティを確立するのが非常に難しいんではないかと思う。だから世間の言う「ふつう」路線への同調圧力が高くなる。学生ふうに言うとイケてないグループに落ちないように必死にならないといけなくなる。
(男女論から離れるが、さらに性質が悪い事に自分がイケてないグループに入ってないという立場をより強固にするためには「イケてないヤツ」を無理矢理にでも作り出す必要がある。これ「魔女狩り」です。)
女性実業家や女性スポーツ選手とか女性漫画家などもちろんいるんだけど、失敗したときの目線が違うというのかな。
失敗して悲惨な人生になっても男は自分の人生に責任を負う権利を認められている。まあちょっと抽象的な考えだけど。バカやってのたれ死にする自由がある。極端に言うと女はその責任を負う自由すら無い。晩婚化未婚化が進んだ今の時代でも女が一人で老いて死ぬまで生きているのを見る時「嫁の貰い手が無かったんだなかわいそう」という哀れみの視線を向けられるような雰囲気はまだある。
もちろん男でも「コミュ拘束」に圧殺されるような奴はいっぱいいるし、「男はこうであるべし」という同調圧力もあるけど、のたれ死にする自由がある分全然違うと思う。
ある作家が自分の小説の主人公がほとんど男なのはなぜかと問われた時「自分の小説の主人公はピエロでなければならない。今の世の中ではまだ女はピエロになれないからだ。」みたいな趣旨の事を答えていた。ダウンタウンの松っちゃんが女が芸人をやる難しさを言っていたと思うが原因はこの辺りにあると僕は思う。女がバカやってのたれ死にする自由、それを男含むみんなが見て対象が男である時と同じように「無茶しやがって…」って笑えるような世の中にするのが必要なんだと思う。
(まあフェミニズムに関してちゃんと勉強すれば僕の考えてる程度の事はとっくに議論済みなんだろうな…易きに流れてテケトーな事を書きちらせるネットの弊害だなぁ。)
夕方にミスドって、たぶんなんか用事のあとなんだよね。子どものお稽古事の帰りとか、あるいは母親が仕事していて、仕事のあと子どもを保育所へ迎えに行った帰り。後者なんか、ほんと幸せな気分になってると思う。母親も子どもも。そこに甘いドーナツ。
小さいときのことあんまり覚えてないから自分じゃわかんないんだけど。
お稽古ごとでバレエとかやってて、その当時有名なスクールに通ってた関係で、国賓の歓迎とかしてたらしい。
寝てる時十中八九うなされてるんだって、前の彼女が教えてくれた。
確かに悪夢はよく見る。黒いのに追われてるのに足が沼につかって動けないとかそういうやつ。
あと、大学受かったけど通っちゃダメ、入学金なんて払いません。だってバレエのお稽古が終わらないから。
と母親に言われて泣き叫んでるみたいな、時系列ぐちゃぐちゃになった回想が多い。
早くに家を出て牛乳配りしたりヒモになったりしたので、現実の母親とは5年くらい話してない。
携帯の番号を教えたら5分おきにかかってきたりしたので、番号変えて実家を着信拒否にしてる。(父親には教えてるけど、葬式以外かけるなと言ってある)
でも、どんだけ現実にシャットアウトしても、脳内の物差し持った母親はいなくなってくれないんだな。
あと、優しく見えれば見えるほど、最終的に女は俺にひどいことをするものだ、という強迫みたいなのがあるっぽい。
ひどい捨てられ方されるとほっとするとか。そういう結末になるように自分で仕向けてる節もある。
自分でもいつまでひきずってんだバーカとか思うんだけど、晴れ晴れスッキリと生きていける気がしない。
別に死のうとか全然思わないし昼間は普通に楽しいんだけど、毎週のように見る悪夢は消えない。
これも一種のマザコンなのかな。もう少し楽になる方法ってないっすかね。