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2009-02-27

ブラックストーン等への投資で60億ドルも損出をだしたはずなのに?

CIC中国投資公司)が5%の配当を発表する不可思議

上海証券新聞は2月24日、中国投資公司(CIC)が2008年度に100億ドルの利益を出した、と伝えた。配当は5%を確保できた、という。CIC中国初の国富ファンドで、外貨準備高から2000億ドルを回して07年に設立。

「ん?」

CICブラックストーンに50億ドル、モルガンスタンレーに30億ドルを投資し、昨年リーマンショックで株暴落後、時価が20億ドルに減少、「もう海外投資はしない」と言っていたんじゃありませんか?

英字紙『チャイナ・ディリー』(2月25日)によれば、同行は流動性の高い金融商品におよそ900億ドルを投資して配当を得たという。

主な投資商品はと言えば米国債財務省証券などの配当が30億ドル。これにくわえて国内の中国銀行中国建設銀行への出資分への株主配当が「相当」あった由。

これって、日本で言う“タコ足配当”。

その中国建設銀行は、58億ドルの社債劣後債)を新たに発行すると言うから、これも摩訶不思議。同行は時価発行総額では世界第貳位。

10年物の利息が3・2%、15年物が4%の配当を謳っている。中国建設銀行劣後債海外投資家が買うとは思えないので、中国国内の「投資家」が買わされるのだろうけれど、お笑いだったのは、中国国内の格付け機関CICCがトリプルAを格付け。史上最悪の金融詐欺CDSを抱えていたファニーメー、フレディマックAAAの格付けをした、どこかの国のそれと違って身内お手盛り、ってわけですね。

さらに驚くべきニュースがある。

中国は国内の国有銀行にこれまで禁じてきた株式購入を解禁したことだ。

それもこれも中国政府は景気テコ入れとして四兆人民元(5850億ドル)もの景気刺激策発表したが、実際に中央政府は30%しか負担せず、残りは地方政府が調達する。

となると行き着くのは銀行からの借り入れ。銀行には預金が増えていても貸し出せるカネがない。だから社債を出し、その銀行株価を支えるために銀行株式投資をするのを許可した(もっとも、これまでも内緒銀行株式投資をしていたのは中国では常識だけど)。

旧正月は、ことしは1月26日だった。このため実際の一月ビジネス稼働日が少ないため、中国国家統計局は一月統計発表していない。株式が30%上昇し、バルティック指数が二倍になり、鉄鋼が20%値上がりに動き、運輸人口が60%増えたとは言っても、それらは旧正月の小売り急増によるもので、通年の統計にはならない。

 

中国人預金がすきである。国有企業に働いた者には年金もつく。

中国年金基金は2007年に4397億元規模だった。08年は525億元に増え、当局は上限20%での投資を認めている。その裡の6%が海外投資にまわっているが、理事長の戴相龍は「もっと海外投資に力を入れる」と言明している(ウォールストリートジャーナル、2月26日)。

08年の同年金投資による増加は8・98%だったそうな。

戴相龍は元中国人銀行総裁、前の天津市長経済幕僚エリートとして世界的に有名。

2009-02-05

市場に委ねればすべてが良くなるというものではない?

 市場に委ねればすべてが良くなるというものではない?

 市場は鏡であって、人や組織行政が行った事を、正直に出力しているだけである。望んだ結果がでなかったからといって、市場が悪いというのはわがままでしかないし、市場に委ねていればばら色の未来が実現するというのも、根拠が無い。鏡をいくら見ても、現実が写るだけでしかない。現実を変えるのは人々の行動であり、人々の行動を引き出す為に、邪魔をしている規制や許認可を外していく必要がある。頑是無い子供でもあるまいし。

 市場が望んだ通りの結果を出すように規制や許認可を強化した場合、それでも望みの結果がでなかったら、誰が責任を取るのであろうか。規制や許認可をやった人間は、善意でやったのだから無罪であると主張するつもりであろうか。ならば、私利私欲の為に規制や許認可を使い、天下り先を作ってお手盛り退職金を貰う為に渡りを繰り返すのと、変わらない。仮に、望んだ通りの結果が出たとしても、常に望んだ通りの結果を出し続けることができるであろうか。規制や許認可は、それによって行動を制限されると同時に、新参者を排除できる参入障壁ともなる。参入障壁のある市場では、市場参加者の私利私欲が優先され、一部の人々の為に国家社会が利用されるという事になる。

 自由放任規制や許認可の基準がクリアーで平等な市場というのは、責任市場参加者全てが取るという事である。能動的に参加した人も居れば、物価の変動によって影響を受ける人も居る。しかし、誰が責任を取るのかという点で、市場主義は、民主主義そのものなのである。

 能動的に市場に参加した人達代議員となって、勝手物価を動かしていたというのであれば、代議員資格を許認可で縛り、行動を規制するよりも、国民全員が参加できるようにするべきである。

 愚かな事が起きたとしても、それは、愚かな行動が起きるような間抜けな事をやらかした人が居るというだけである。誰かや国家責任押し付けるようなモノではないし、他人の金である税金を使って責任を取るふりをしつつ、私利私欲の為の権限を増やそうというのも許されない事である。

 選挙で思い通りの結果が出ないから、有権者を許認可で絞り、指示された候補者名前以外の文字を書いてはならないと規制すれば、投票率・得票率100%の思い通りの選挙が実現できるが、それに意味があるのであろうか。

 財政出動で景気が回復しないのは、小渕内閣の時に実験済みである。しかし、財政出動道路工事トンネルや橋や箱モノや補助金をばら撒く事で、田舎選挙区の票が買えるならば、消費税の大部分を負担する都市・一区生活者を切り捨てるというのが今の政権の立場のようである。

 政策無き政党存在価値は無い。今の自民党をぶっ壊す人が必要なようである。

2008-12-05

完全に腐りきっていた日本SF

なにがって今回の日本SF大賞ですよ

007年度最低の駄作たる電脳コイル(通称:低脳コイル)が受賞してしまいました

正直ここまで露骨なお手盛り受賞なんてのがあるとは思ってなかったので

怒るのを通り越して唖然としています

この日本SF大賞、後援は徳間書店なんですが、

明らかに圧力がかかったとしか思えませんね

要するに、大金を注いで作ったアニメが全然人気がなくて

ジブリなどかつてのアニメを引っ張ってたプライドが傷付けられて、悔しいんでしょうね。

それで、無理やり大きな賞を受賞させて目立たせようと。

そんなことしたところで現実では全然人気出ませんが。

それに、低脳コイル信者ロリコンキモ中年どもですね。

娘から口が臭いと言われて口をきいてもらえなくて

無印良品で、”じっさいにいそうな感じの”小学生キャラTVの前でシコシコしてるんでしょう。

実に醜悪です。

あるいは小学生を犯したくてたまらない犯罪者予備軍ども。

そしてこういった最低の人種たちが今のSF界を牛耳ってるわけで、そいつらが団結して

電脳コイルSF大賞や星雲賞あげたり、ハルヒらき☆すたアンチキャンペーンを張ってるのでしょう

なんというか、これまでは日本SF関係者のことが好きでも嫌いでもなかったのですが、

やはり低脳コイルを持ち上げるようになってから、

何か憎悪のようなものを感じるようになりましたよ。

こんな低視聴率アニメ持ち上げてハルヒらき☆すたを黙殺するなんて目が腐ってるとしか。

それで、2chのスレでも無理やり絶賛しまくってて実に気持ち悪いですね

http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/news/1228216734/l50

まあこの痛々しさは低脳コイルのクソっぷりにあってるといえばあってるとは思いますが。

これから信者のクズどももこれでまた調子づくに違いないので徹底的に抗戦したいと思いますね。

ここまで政治的に持ち上げられている作品があるのに宇野常寛サンは何も言わないんでしょうねwww

2007-11-10

ダイヤモンド永遠の輝き

の風刺・告発ムービー

http://www.youtube.com/watch?v=JsfwEj6yqSA

デ・ビアスのあのCM音楽にのせて「紛争ダイヤモンド」不買の呼びかけ。

ただ、ここで指摘されているRUF(革命統一戦線)は既に国連軍の介入などにより停戦武装解除が済んでいる。

数年前はFlash流通していたのだが最近検索してもうまくヒットせず見ることができなくなっていた。(のでメモ

婚約指輪がどうとかが一部話題になってるらしいのと中流富裕化の進む中国あたりからまた需要が逼迫して値上がりしているとかなんとかというDeBeersのお手盛り情報を受けて。

ちなみにこの歴史に残るであろう名コピー

『A Diamond is Forever(ダイヤモンド永遠の輝き)』はマーケティング歴史の中で最も成功したスローガンである。このスローガン目的は、受け取ったダイヤモンド転売しないよう女性を説得し、中古品による市場価格の下落を防ぐことにある。この結果、ダイヤモンド市場からは競争が排除され、小売業者は高値ダイヤモンドを売ることが可能になった。またそれは、デビアスが大規模にダイヤモンド流通を操作することを可能にした。

Wikipedia デ・ビアス

とのこと。

2007-06-17

平成十九年六月十五日白田秀彰演説記録

前口上

ThinkCに参加した人たちからは評価が高い白田氏の演説だけど、ギレン・ザビの演説級だと僕は思う。たくさんの人が知った方がいいと思うし、もっと評価されていいはずだ。一部で議事録もあがっているようだけど、現場の勢いはあんなものではなかったから僕の記録を公開することにした。それに今回のフォーラムは公開されないと聞いたから。

もしかしたら実際の発言とは多少異なっているかもしれない。そこのところは僕も危ぶんでいる。とはいえ、面白さとか迫力とかだったらある程度までちゃんと再現できてると思う。以下の記録を読んでくれて、白田氏の熱さが伝われば幸い。

演説記録

【第一発目】

...「制度改正ができるものならやってみろ」ということでしたが...

そんなこと10年前からやってきたんですよ!

博士論文で、著作権制度が産業保護奨励政策としての独占にすぎないことを明らかにした(1)。

博士論文の内容をくだいて一般向けにした、わかりやすい解説も書いた(2)。

あちらこちらの講演で語った。

雑誌記事で一般に訴えた。

オンライン記事でみなに訴えた(3)。

審議会に出て言いたいことを言ってきた。

ロージナ茶会という組織も作った──茶会はすでに解散してしまいましたが──。

パブリック・コメントも出した(4)。

私一人でできることは、ずっとやってきたんだ!

それでも、誰もついてきてくれないから...

いまだに、こんな議論を続けなければならないんじゃないですか。

法律論では、なんにも先に進まないことは、もうわかってますよ。

...この会場の誰が、私を援けてくれるんですか?

誰が、私と一緒に著作権制度の議論に本気で取り組んでくれるんですか?

最近は、茶会のメンバーですら、私の書いた記事にコメントくれなくなった(苦笑。

そこら辺(運営側)の人たちも、最近さりげなーく私の発言を無視するようになった。

それでも、一人でも、一歩でも先に進まなければいけないから、

こうしてここで喋っているんですよ!

【第二発目】

会場から「白田の主張は偏ってるんじゃないか」というご指摘がありましたが...

そんなことは百も承知でやってんですよ!

日本の学界の主流である、ドイツフランス著作権理論がどんなものかは、よく知っています。

しかし私の博士論文では、イギリス著作権制度がそれらに先行し、強い影響を与えたことを明らかにしている。私の研究では、産業保護策としての独占の付与が先んじ、その後、著作者の財産権だの、著作者の人格権だのといった主張がくっついてきたことを明らかにしている。

私はその研究に5年かけたんだ。貴重な若い時間を費やしたんだ。

だから、著作権制度が所有権人格権を本質とするという主張については、賛成できない。さらに言えば、知的所有権のみならず所有権という概念それ自体があやふやであることもまた、岩波から出た論文集の中で指摘している(5)。

もちろん、こうした考えは学界では異端だろうし、支持者もいないだろうことは知っている。

しかし... 世間の大勢が、著作権は「天才を保護する権利だ」とか「創作者の心情を保護する権利だ」などと言ってるからといって、自分が5年かけて確認したことを、「著作権制度は、本質的に産業保護目的とした独占にすぎない」という自らの主張を、曲げることは学者としてできない。世間の大勢を慮って自説を曲げることを曲学阿世という。首をくくられても自説を叫ぶのが学者なんじゃないですか?

いいですか... 社会ほとんどの人が「著作権は天才の権利だ」と信じて、それを強化拡大しようとする側にいるとき、シーソーは、圧倒的に権利強化の側に重く傾く。そのとき、たとえ100mの空高くはじき飛ばされようと、誰かがシーソーの反対側に立たなければ均衡など維持できないではないですか。

ローレンス・レッシグは、憲法学者でありながら、なぜ著作権制度について問題意識をもち、闘っているのか!

彼の本、『コモンズ』には、こういう一節があった。

──連邦議員が、少数の利益既得権ではなく、一般的な福利を尊重すると考えることが頭がおかしいのなら、連邦最高裁が、形式的な法律の適用ではなく、われわれの自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしいのなら、いますぐキチガイを増やさなければならない──

というものだ。したがって、私は百も承知で偏った議論を展開している。それは、それが全体としての均衡を維持するのに必要だと考えているからだ。

  • footnote

(1) 白田氏の唯一の学術論文である『コピーライトの史的展開』 知的財産研究叢書2, 信山社 のことらしい。

(2) ネットワークでは良く知られた『もう一つの著作権の話』青空文庫 のことのようだ。

(3) このあたり、氏のWebサイト『白田の情報法研究報告』でだいたい読める。

(4) 「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見募集にも提出している

(5) 知的所有について, 『[rakuten:book:11350650:title]』 第3巻 情報, pp. 85--105 のことらしい。

連邦最高裁が「自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしい」という部分についてだけど、実際の記述は、『Free Culture』p. 313 にあった。引用すると以下のとおり。

でも、政府の役割が「バランスを追求する」ことであるべきだというのがバカげていると言うのであれば、わたしはバカの側に分類してほしい。というのも、そうなったらこれがかなり深刻な問題になってきたということだからだ。もし政府バランスを追求しようとせず、政府が単に最強のロビイストたちの道具でしかないということが誰の目にも明らかになっていて、政府に別の基準を要求するのがバカげていて、政府ウソではなく真実を語るよう求めるという発想がおめでたいのであれば、世界最強の民主主義だったはずのアメリカは、いったいどうなっちゃったというのだ。

政府高官が真実をしゃべると期待するのは頭がおかしいのかもしれない。政府の政策が、強力な利益団体のお手盛り以上の何かだと信じるのは頭がおかしいのかもしれない。歴史を通じてずっとアメリカ伝統であったもの――自由な文化――を守ろうと論じるのは頭がおかしいのかもしれない。

それが頭がおかしいのなら、キチガイをもっと増やさなきゃいけない。それもすぐに。

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