徳川家康の関東移封からもわかるように
北条家が素直に傘下に入っていれば
関東全域はそのまま北条家の領地としても良い
くらいの考えを秀吉は持っていたと考えることが出来る。
しかし、北条家が従わなかったので滅ぼすことになった。
では空いた関東の経営をどうするか?
もともと北条家にくれてやるつもりであった地域であったし
家康を天下より遠ざける施策となる関東移封は
思い切った政策だが
秀吉の天下構想の中では
それほど異を放った存在というわけでもなかったと考えられる。
このような大度で思いっきりのいい政治手腕が秀吉の真骨頂と言っていいし、
そしてその真骨頂はこの家康の関東移封以後、影を潜めていくことになる。
それは老齢ゆえか、天下を取るという能動的立場から
天下を守り、子孫に継承させる、という受動的立場に変化したからか
その両方なのかはわからない。
それはともかく秀吉の感覚的には西は毛利
東は徳川に大領を与えて天下を安定させる
という政治感覚は
とにかくスピード命を信条にしていたものと思わえる。
ちょっとでも政治的空白が発生すれば
もともとが何者でもない秀吉の天下など一瞬で瓦解するからだ。
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