2024-10-02

公私に渡り、どこもかしこも、私を認めるでなく、排除する方を選んできたわけである

私が世間いくら認めても、世間は私を認めようとしない。

ただそれだけのことであり、ただそれだけのことを繰り返していたにすぎない。

人類に対する貢献、と称して自らを奮い立たせる気概も失せた。

いくら私が人類を思ってみたところで、人類が私を思うことなどありえない。

頭の中の想像にすがっているだけで、まったく現実生活に根差していない。

もとより、人類資産というのは、各時代における必要に迫られて産み出されたものであって、後世の人類のために産み出されたものではない。

化石燃料と同じで、我々は過去の人類が残したものを好き勝手生活の用に立てているに過ぎない。

我々は残滓を漁るスカベンジャーに過ぎない。

過去の人類の方から現代のわれわれに、何かをしてくれたわけではない。

思い返してみれば、私のことを見ている人間はいなかった。

高校の頃不登校になろうが、専門の末期に不登校になろうが、会社で進捗がなかろうが、誰も何事もなく世界運行し続けるだけだった。

頑張ろうが怠けようが、誰も私に関心などなかった。

誰も私に期待などしていなかった。

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