かつて、いろんな本を読んでいろんなことを知っている「教養人」というポジションがあった。
たとえば先日亡くなった松岡正剛なんかもその一人だった。
昔は「たくさん本を読んでいる」「みんなが知らないことを知っている」ことはそれだけでアドバンテージだった。
教養人は尊敬され、彼らの言うことはすべて正しいに違いない、と思われていた。
ところがインターネットは「いろんな本からいろんな知識を集める」を本当にやってしまった。
無数の情報が集積され、多数の人によって検証され、誰でも無料でそれを読むことができる。
その結果、教養人たちが言っていたことは、実は間違いだらけだったと判明した。
誤読が多い。記憶違いをしている。理解が浅い。情報が古い。価値観が古い。
いまや教養人よりもWikipediaを読んでいる庶民のほうがよっぽど物知りだ。
昔は分厚い本を持ち出してこないとわからなかったことが、今ではググるだけで身についてしまう。
現代の教養は「体験」だよ 何を体験し感じたことをどううまく表現できるかが大事
ググってわかる断片的なトリビアを教養なんて思ってくれるのはネット民だけやで
そう、教養なんて「本を読んだだけでわかる断片的なトリビア」にすぎなかったわけだ。
興味深いうんちく的な話と教養には何となくの隔意を感じるけどな。 前者は話者主導でうんちくの披露そのものが目的化してて後者は話者がそれを前提とした文脈で会話の下敷きになる...
それは「春はあげぽよ」とかでキャッキャしてるネット民が教養と思ってるもどきやで
教養は表面的な知識じゃなくて身体化されたものなんだよね ハビトゥスってやつですよ
その通り。教養は共同幻想です。 mRNAワクチンなんて象徴的だね。 知識人と呼ばれる連中が、ワクチンの機序を間違って理解してデマすら流してるんだからねw ネット以前は、分からな...
だいたい同意なんだが、一番最後の行には次の段階があって、 それは、「だから現代は、もっと希少なものを"教養"と呼ぶようになった」 があるよね。 もっと希少なものってのは、実...
意外とググってもない情報はないぞ。税や料の細かい計算方法とか。 はてなー、ネットにあらゆる情報があると思いがち。