意味がある、ないって何か目的があった上で始めて成立する判断ですからね。何の条件も指定せずあれは有意義だ、いや無駄だなんて言った所で、それは何も言っていないのと同じ。
そりゃプロ野球選手になりたいという人がいくら習字を修めた所で限りなく無意味に近いけれど、別に全ての人がプロ野球選手を目指して生きている訳でもなくて。
上手な字を書けるようになる、という目標を設定すれば習字には意味があると言える。
そんな機能的な事を問わずとも、美しい字を追求する快楽が人生の意義の一端を担っていたら、それだけで意味があるとも言える。
知識を得たりそれを活かして何か新しい行動に反映させる事に関心がない人には、その点で言えば読書だって無意味な行い。それでも紙をめくって文字を目で追うことに快感を覚えるなら、それはそれで意味があると言える。
大小問わず人生における目的が常に共有されている訳でもなし、すぐ「それは意味がない」とか口を挟む人は自我を外に拡張しすぎではって思う。
まあ私も、他人に対してやれそれは無意味だとかジャッジするのは無意味だ、と言っているようなもんですけど。それだって本人がそれで気持ち良くなってるなら、まあ意味はあるか。
それはそれとして、偉そうにそう言われる側からしてみればウザいんで控えようかな、とか思える程度に社会性を持って頂きたい所ではある。