性善説ってよく叩かれるけど
「私は性善説を信じてます」って人はいないから
存在しないものを叩いてる藁人形遊びなんだよ
トラブルに対処できないのは
べつに性善説を信じてるわけじゃなくて
対策コストの問題だったりするだけ
さらに言えば性悪説を信じてるやつもこの世にいない
「俺は性悪説を信じてるぜ」
って言いたがる奴は多いけどそれは口先だけ
突然ナイフで刺されることを警戒して
厳重装備で出かけたりするか?
見ず知らずの他人を普通に信用してる
他人を100%疑うのも、100%信じるのも、
どっちも日常生活を送れねーんだよ
何%か信じながら何%か疑うって
中途半端な状態を一生続けるしかないわけ
%の配分を間違うことも当然ある
失敗しながらまたバランス調整するしかない
0か100で考えるのは意味がない
そういう世界の複雑さを理解できないくせに
「俺は現実わかってるぜ」と思ってる奴が
性悪説、性善説って言葉を好むんだよな
そもそも本来の意味の性善説・性悪説って
ぜんぜん違う意味なのにそれも理解されてないし
使ってるやつアホだらけだわ
Permalink | 記事への反応(0) | 20:23
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