ラーメンブロガーで三食ラーメンみたいな人も、メシとしてラーメンが好きなんじゃなくて、ラーメンを食うという行為にメシとしての側面が付属しているという認識なんじゃないだろうか?
現代において三度の飯によって食欲を満たして胃袋を膨らませることをなによりも優先するような人間がいるとは思えない。
よっぽどの貧困層、それこそ一日三食を食べることがそもそも難しい層であって始めて成立するんじゃないだろうか?
というかそんなのがあった時代って何時だよという。
飢饉や戦争でもないなら大抵の時代は最低限の食事は得ることが出来ただろうに。
強いて言うなら酒の飲み過ぎで飯代がなくなった時に、それでも酒を飲むか飯代ぐらいは取っておくかという葛藤があったぐらいか。
だがその場合、飯の属性は「必要」であって「好き」とはまた違うんじゃないのか?
「必要」なものと「好き」なものを比較している事自体が別の属性の比較であってそもそも狂っているように思う。
「三度の飯より好き」を成立させたいならやはり「三度の飯を食って食欲を満たすことに強烈な快感を得る」というのが前提なんじゃないだろうか?
「三度の飯がとにかく好きで、その上でそれよりも好きなことがある」という極めて限定的な異常者に対して使うような表現がいつの間にか一般化していった背景が知りたいところだ。
調べるほどの興味はないのでやっぱどうでもいいところだ。