形だけでも女が関わっていればいいのか、っていうことだろうけど
「20年女として扱われ、女を自覚していきてる人間」とそうでない人間の感性の差と
その人が挟まらないと進まない、という状況をちょっとなめすぎではないだろうか
漫画男、担当男、だったら、もうその時点で世界でたった二人の男がOKなら進んでしまうものではなくなった、って
結構大きなことだと思うんだけどな
チェンソーマンのアニメに原作の魅力がないという(原作の繊細な視線がなくなってセリフの意味が死んでるとか)なんて増田があったように
アニメ化において、演出が加わるっていうのは、たったそれだけ、を越えるひと手間だと思う。
「全然一緒じゃねえかwwww」というその感性が古いかも?いやそんなことないかも?周りに聞いてみよう、くらいの柔らかさというか