やりたくてやってるわけじゃない。
相手の言葉の端々に被害を受けたかどうかの判定(以下被害判定)が入る。
私の被害判定では返却値は真偽という二値ではなく、小数で返ってくる。
例えば普通の人が0.5くらいから悪口と判定するのに対して、私は0.01くらいで悪口かもとなりモヤモヤしているのかも。
あるいは閾値は同じだが、悪口かもと判定が入ったときの小さなダメージが私にとっては大きなダメージなのかも。
相手の発言駆動というだけでもなく、自分の発言でも判定は入る。
これを発言したらといった想定で頭が一杯になる。
極めつけは興味だ。特定の分野以外興味ない。しかし分野以外のことも話さないといけない。
これは我儘だ。本来この我儘を通すために多くの人間は多くの努力と結果を有している。
私にはそれがない。だから我儘。
私はこれを何年も通してきて、現状では一部の状況、人間に対して発言ができなくなっている。
被害判定が入ると手が震える。全身の酸素が突然少なくなったかのような感覚になる。
そしてついでに手も震える。
まもなく仕事はなくなる。もう良い歳なので次の仕事や職もないだろう。
まあ、あるかもしれないが、私にはもう光が見えない。
この文章は、自分が被害妄想を持っており、相手の言葉の端々に被害を受けたかどうかを判断することがあり、それによって手の震えや不安を感じることがあるということを述べていま...