蛍原に対する「面白くない」とか、この人の「論破」って、
要するに自分の「感想」でしかないものを前提にして
都合のいいことをつまんで構成されてるんだよなあと、
最近の雨上がり決死隊解散がらみの発言を見てて改めて思う。
蛍原への評価にせよ、宮迫への評価にせよ、
自分の主観的「感想」を「誰が見たってそうであるように」みたいな
一方的なコーティングをしていくわけで
粗雑で卑怯な言葉づかいだと思う。
だからフランスの学者との件みたいに、
本気で根拠のある人の前ではあっけなく瓦解するしかないわけで、
こんなのとかDaiGoみたいなのに信奉者がいる、ということ自体、
かなり深刻な問題だよなあ。
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