おまえらはすぐに人の人生を、人格を、物語として消費したがる。
アスリートに対しては苦労から成功の物語を、若くして燃える命を求めるし、アーティストに対しては職人魂を、人間の魂から削り出されるオリジナリティという物語を求める。
だがそんなものは無い。彼らも私たちと同じ人間、いじめるし、いじめられるし、場合によっては犯罪も犯す。逆にまったく面白みのない、普通の生き方の人もいるだろう。
それでも競技の記録は記録、作品は作品。そこで評価された結果は、それはそれとして享受し、同時に彼らの人格や発言に期待しないことだ。
彼らは社会のために存在してるわけではなく、自分と、向き合った競技や作品のために存在するだろう。そして誤りを犯せば、私たちと同じく裁かれるだろう。(この点は、同じでなくてはいけない)
カッコつけんと、もっと単純にゆうたらええやん? 『なーんもしらんもんがかってにくちゃくちゃけちつけんなや』 てな(笑)
彼の場合は非人道的虐待行為を雑誌に掲載することで彼の表現世界にそこを取り込んでいるから 表現そのものがEテレやオリパラと衝突しているし、何らの埋め合わせもないんだよね。 ...