最近やたらめったら"脱ルッキズム"関連記事を見かけるようになった。
だいたいの構図としては
◆見かけによって良くも悪くも差別をされた
的な流れで綺麗に纏っているが、どうもしっくり来ない。
脱ルッキズムが浸透したところでブサイクが世の中からいなくなる訳でもないし、昨日まで面食いだった人が改心してブサイクを愛するようになる訳でもない。
単なる「ブサイクにブサイクと言わない」「人を見た目で判断しない」というムーブメントなら、人類創世記より繰り返されては挫折している内面重視運動と変わりなくない?
アプローチの角度すら変わってなくない?
見た目という概念を「個性」というマジックワードで全肯定、否定するのは非常に不自然且つ手遅れな手法だし、結果脱ルッキズムに同調する者達だけの狭いコミュニティ形成だけで終わる気がする。今のフェミニズムみたいに。