定義的に言えば俺は金のないキモいおっさん(以下KKO)に属する人間なのだろうが、だからといって誰かに救って欲しい、救済策を社会に要求したいとは思わん。
誰かに迷惑かけてまで救ってもらう価値が俺にあるとは思えんし、国や自治体がKKOへの救済策を取る事は正直金と労力の無駄だと思う。
仮にKKOに救いがあるとすれば、それは可能な限り穏やかに死ぬ事だけだ。
こうなると必要な物は個人や社会による救済ではなく、「如何に自分の死を納得し受け入れるか」という個人的な救済だ。
その手助けになるのはせいぜい宗教くらいのもので、社会がそれに対してできる事といえば個人的な救済が犯罪など社会に害を与える形にならないように仕向ける事くらいだろう。
個人は個人の為になる事しかできないし、社会は社会の為になることしかできない。