余命宣告を受けたら、自分の好きなことをして生きても、もはや何も楽しくないと思うのだ。
むしろ、余命宣告は人生がいつまでに終わるという保証でもあるわけだから、
じゃあその期間までなら…と、生きる苦痛に耐える意欲が湧いてくるはず。
なので、余命宣告を受けても、死んでも悔いが無いような好き勝手な生活を送る気は無い。
むしろ、面倒でやってこなかった人生の課題に取り組みたいと思う。
例えば土日を潰して社会奉仕に励みたい。手を抜いてた仕事で業績を挙げたい。
社会的要請である結婚をして身を固めたい。まあ相手など居ないけど。
そういった普段なら絶対やりたくない人生の課題も、仮にどんな苦しくたって宣言された時期には終了する。
だから、取り組む気になれる。期限が切られているのも良いことだ。ようやくそれらをやり遂げられる気がしてきた。
そしてそれらは、死後に審判が下されるというのならば、ささやかな路銀にもなるだろう。