この通りある種の保守は卑怯。そして卑怯者と馬鹿(無教養)のコラボは無双。
リベラルは多くの場合、卑怯と馬鹿の生きる力を削げずに彼らの「誤り」を指摘するが、卑怯と馬鹿に理屈は通用しない。
中間層瓦解以降の馬鹿は基本的に卑怯な方法でしか取り込めないが、それではリベラルの本義に反することになる。
バグっているのはリベラルではなく社会だ。
リベラルだからといって社会をなんとかしようと気負う必要はないし、ましてリベラルを知らない卑怯や馬鹿が何らかの責任を押し付けてきても耳を貸す必要はない。
卑怯も馬鹿もどうせ脅せば思想の外形など無関係に懐いてくる。
Permalink | 記事への反応(1) | 22:28
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