アメリカは、死亡した被疑者と同じ属性を持つ人間が、その属性のせいで殺されたという可能性を強く受け取る。
そして同胞を悼み怒りデモをする。行き過ぎてテロも起きる。そのように見える。
一方で、日本は、被疑者が最初から同じ日本人である(属性が近い)と思っている人間が多い。
そのためか、逆に死亡した被疑者の属性の中から自分と違う属性を見つけようとして、あいつは自分じゃない、自分は大丈夫と安心する方向にいく。
警官の理不尽があれば怒るという点は、実はアメリカも日本も変わらないんじゃないか。問題は、それよりも被疑者と自分が同じか違うかという興味の方向性の違いがあることで、擁護か、排除かの行動が変わってくるんじゃないか。
普段から警官の理不尽に晒されているかどうかという点も違うかもしれないが、もっと大きな文化的というか性格的な違いがあるように思う。