名も知らぬ者の怒りに進んで触れたいと思う者はいない。怒りが共感を生むのは元よりそれに関心と共感を持っている者のみだ。
若者は政治に興味を持たないと人は言う。政治が悪いと彼は言う。アベはやめろと怒り狂う。だが私には興味がない。となると彼は訳のわからぬものに怒る狂人としか映らないのだ。フェミにしても女叩きにしても自粛警察にしてもそうだ。奴らは怒る。自らは正義のように振る舞い、気に食わぬものを槍玉にあげ、御旗は我にありと叫ぶ。
だが怒るものには本能的に恐怖し、近付き難いと思うのが人間だ。一部のものは付いてくるかもしれないが、誰しも大勢が怒りに任せて付いてくるものではない。つらかったでしょう、救いはここにございますよという顔をしているだけ、まだ怪しげな宗教の方に分があるとさえ思う。
怒りは人を煽動しない。怒りは人を恐怖させる。大衆を煽動するために共感が必要ではあるが、怒るばかりでは人は付いては来ないのだ
トーンポリシングはペンよりも強い
フェミも左翼もムラ社会だからムラで1番声がデカい奴が偉いと思っていて、デカさを競うために怒るのでは
#私たちは怒っていい