昔はあらゆる現象が神によって行使されていて、科学によって神ではない原理が明らかになるたびに
「でもこの現象はまだ解明されてないから」「でもその原理にはまだ不明な部分があるから」と
科学を認めつつも、それだけでは説明のつかない部分だけを未だに神の御業ということにして信仰を保とうとする。
そんな信仰の仕方を、科学と科学の隙間にある狭い部分に神を押し込めている、という皮肉を込めて、「隙間の神」と呼ぶ。
今でもいるよ。「今は何もしてないけどそもそも宇宙を作ったのが神だ」とか「物理法則を設計したのが神だ」とか。
何か機械が新しいことをできるようになるたび、「いやまだこの分野は人間の方が強いから」「まだ人間しかできない仕事だから」。
肉体労働で勝てなくなったら知的労働。知的労働でも勝てなくなったら芸術分野か。
最近はそれすら機械にもできるんじゃないかってことになって、じゃあそれらをいっぺんにはできないだろ、みたいな。
これじゃ「隙間の神」ならぬ「隙間の人間」だよ。