2019-06-29

anond:20190629211503

ひとことでいうと、生命を奪うことと奪われることには非対称性があるそうな

生命が奪われることについて倫理的配慮の客体となり得る十分条件は「自らの生命継続することに利害(interest)を持つこと」なのに対して、倫理的配慮主体となり得る必要条件は「道徳的行為する能力があること」なので、雑にいうと倫理的主体倫理的客体 ということらしい

もちろん根拠としてはいろいろあるんだろうけど、ここでは「道徳的行為すること」に価値をおく倫理はたぶんカントに由来するものと思われる(このへんはあまり議論を知らない)けど、倫理的配慮の客体たる条件についてはどの系譜に連なる思想なのかはよくわからん

(そこに応用倫理としての新規性がある、というのが動物倫理を主張する論客アピールポイントなんだろうが、この手の話で一番有名なピーター・シンガーにしてもいろいろ批判はある)

記事への反応 -
  • 真面目な話、ヴィーガンは動物が動物を食べることについてどう思ってるんだ

    • ひとことでいうと、生命を奪うことと奪われることには非対称性があるそうな 生命が奪われることについて倫理的配慮の客体となり得る十分条件は「自らの生命が継続することに利害(int...

    • 家畜を絶滅させる気なんだから、家畜の次は肉食動物の絶滅だろう。

    • さすがに動物と人間を混同するほどの馬鹿じゃないだろ

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