2019-06-02

今日も女は」

フェミ自称毒親育ちは女の中でもごく少数派だ。

にもかかわらず、一部のフェミ言動が女全体の言動であるかのように使われるのはなんとも気持ち悪い。

なぜ「今日も女は」が使われるのかといえば、増田で女叩きをしている童貞にとってはネット増田で暴れるフェミが女の全てであり、そこに個人存在しないかである

彼らにとって、上司・同僚・旧友・友人の妻・ツイフェミタピオカjk、全てが(深い関わりを持たないがために)ただの女でしかないわけだ。だから、女の中で誰の発言であろうと「女は」と括ることしか出来ないのだ。

はっきり言って底辺である現実で異性との関わりも持たず、ネットで女の言動粘着しては、叩く。そこに生産性は無い。

それでも、彼ら底辺自分が男であるという事意外にすがれる物がない。だから「女は馬鹿」「男は差別されている」と彼らは主張する。

しかし、底辺男より有能な女性は数多くいるわけで、また、底辺男が差別されているのは性別のせいではなく頭の悪さと言動気持ち悪さのせいである。

同じことが「男は馬鹿」「女は差別されている」と主張するフェミニストにも言えるわけだが、フェミ叩きをする底辺男にとってそれはブーメランとなってしまうため攻撃手段として使えないのである

彼ら底辺男の精一杯の女たちへの反撃、自分と付き合ってくれない全ての女への攻撃、それが「今日も女は」である

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