にもかかわらず、一部のフェミの言動が女全体の言動であるかのように使われるのはなんとも気持ち悪い。
なぜ「今日も女は」が使われるのかといえば、増田で女叩きをしている童貞にとってはネットや増田で暴れるフェミが女の全てであり、そこに個人は存在しないからである。
彼らにとって、上司・同僚・旧友・友人の妻・ツイフェミ・タピオカjk、全てが(深い関わりを持たないがために)ただの女でしかないわけだ。だから、女の中で誰の発言であろうと「女は」と括ることしか出来ないのだ。
はっきり言って底辺である。現実で異性との関わりも持たず、ネットで女の言動に粘着しては、叩く。そこに生産性は無い。
それでも、彼ら底辺に自分が男であるという事意外にすがれる物がない。だから「女は馬鹿」「男は差別されている」と彼らは主張する。
しかし、底辺男より有能な女性は数多くいるわけで、また、底辺男が差別されているのは性別のせいではなく頭の悪さと言動の気持ち悪さのせいである。
同じことが「男は馬鹿」「女は差別されている」と主張するフェミニストにも言えるわけだが、フェミ叩きをする底辺男にとってそれはブーメランとなってしまうため攻撃手段として使えないのである。
今日も女はかまってちゃん
ワイは男やがかまってちゃんやで
ちゃんと馬鹿なフェミニストとそれに攻撃する馬鹿な男を同じ扱いで馬鹿だと言っているのは良いね