悪は、「差別の結果出てくる問題点」にあるんだよ。
「差別と区別」なんていいかたする人もいるけど、「差別」という言葉そのものを無害化しないと悲しみは終わらない。だって、なんだって「差別」と言える余地はあるし、逆に「それは区別」なんてのも都合よく言うことが可能だから。
以下はどちらも【差別】だが、一方は悪で一方は悪でない。なぜなら理由の妥当性が違うから。
この「理由」の是非判定に時価である「社会的価値観」が加わってしまうのは問題だが、「だから差別はすべて悪」というのはむしろ【平等を遠ざけてしまう】んだ。
Permalink | 記事への反応(0) | 11:07
ツイートシェア