それはそれまでの「選ばれし勇者が世界を救う」お約束に対するアンチテーゼとして「誰でも、何にでもなれる」という意味で出してたわけで…
(まあ6も勇者いないけど)
あとDQ3は女勇者選べると言っても男とグラフィック同じで、「男として育てられた」「男装してる」設定でしょ。
んで女なのかと聞かれても否定する。
つまり「女は女のままじゃ勇者とは認められない」世界観で、女を最初から選べないより酷い扱いだよ。
6は職業次第でミレーユが回復・バーバラが攻撃と決まってる訳じゃないし
(むしろバーバラは打たれ弱すぎて馬車から出せず馬車から回復しかさせない人が大半だろう、マダンテ覚えた後ならマダンテ一発屋として使う事もあるが)
1は勇者(男性)しかいないので割愛。 2は回復役はサマルトリアの王子とムーンブルクの王女の両方だけど、ムーンブルクの王女が攻撃魔法も使えるのに対しサマルトリアの王子はサポ...
「人は誰かになれる」は7のキャッチコピーだし、 それはそれまでの「選ばれし勇者が世界を救う」お約束に対するアンチテーゼとして「誰でも、何にでもなれる」という意味で出してた...
確かにご指摘は全てごもっともだわ。6にも職業あった事本気で忘れてた。 最後の結論の男女差別という観点でドラクエを見るのに無理があるという点は確かにそうとは言えないけれど、...
そもそもタンバリンや主人公の回復って終盤だけだろ それまでの長いプレイ時間の大半はそうじゃないわけで