そもそも、人間は見も知らぬ人間を個人で見られるほど認識力がない。
「韓国人は」「日本人は」「オタクは」「ゲイは」「マスコミは」「官僚は」
これら集団の総体の傾向、悪く言えばレッテルを通してしかまだ見ぬ人間を認識できない。
このレッテルから逃れうるのは個人として認識できた人間だけ。
これを考えるに、「政府の対応だけで隣国人を敵視するな」というのは無理筋である。
特に民主主義の国家においては民衆の意見の総体が政府の意見とみなされる。
自国に敵対的な国家の人間を、総体として友好的に見るのは不可能だ。
Permalink | 記事への反応(0) | 08:51
ツイートシェア