“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎない
書いてあることの意味がわからない。言文一致のあたりから、よりわからない。
最後まで読むと、話し相手がいるかいないか、が分離をうながす要因、と読める気もする(忖度)ので、
そうであればなかなか興味深い指摘である。
1、どのようにして書く材料を見つけるか。
2、頭の中にストックした材料をいかにうまく言語化するか、いかにうまいタイミングで言語化(構成)するのか。
書き言葉は1→2だが、
話し相手がいる場合は、1→2であったり2→1だったり、1→1→2だったり流動的であると言うのならば、
「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。だから(評価されたいのなら)大多数の大衆に理解できないような難解な文章を書...
“文才がある”っていうのは“喋りが上手い”の言い換えに過ぎない 書いてあることの意味がわからない。言文一致のあたりから、よりわからない。 たぶんあなたは言文一致が何な...
「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 いや違うだろ。 「この人の言ってることが(よく)分かる」は文章を評価する...
前提は共有されてると思っていたがそうでなかったようだ。俺が言ってたのは、はてブ界隈で(或いはtwitterなども含めていいけど、つまりネットの低俗な人たちが)実際に文才文才騒ぎ...
「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシン...
「この人は文才がある」は「私はこの人の言っている事が良く分かる」の究極の言い換えに過ぎない。 言わんとしていることはわかる。(「究極の」という形容を削って問いをシン...