なるほど……。
であれば、俺の先の話は的外れだったかもしれない。俺は「文書は全て読まれる人のためにある」という前提のもと書いた。これは普通は間違ってないはずだが。
自分のために書いているなら、文才がどうとかいうより、書かれるべきはメモに近いものになる。
とにかく、その瞬間どう思っているか?を書く。書くことによって、あなたの感情は固定され、例えばかつてのパワハラ上司に感じていたものが、怒りだったのか、恐怖だったのか、嫉妬だったのか、それが決定するだろう。わからないならわからないと書くのが良い。それによってわからないことが確定するからだ。
これが有益なのは、例えばわからないということが確定したら、それ以上、上司への感情について悶々とする必要がなくなる。単純に、他のことを考える時間が増える。このことを、「文書にすることで考えが整理される」とかいう。
整理したことを書くのではなくて、書くことによって整理されるのだということを、意識するのが良いと思う。この場合、いい文章を書こうとしなくていい。変な文が出てきたら、それがあなただ。
感情を表現するのって、やっぱり文才なりコミュ力いるのかな。 ふー。しんどいなー。 論文だったら、感情を排するように言われるが、普段の日常会話だと感情とか、 気持ちとか...
何目的の文章書いてるかはしらないけど、一般的に良い文章ってのは、感情が書いてあるんじゃなくて、共感をもたらす内容が書いてある。 自分のナマの感情を入れるのは、本気の人間...
つたないつぶやきなのに、なんだか、ありがとう。 3,4年前のパワハラで悩んでいる人です。告発文的なものを書きたいと言えば、そうだし、今の心理状態から脱したいということも...
なるほど……。 であれば、俺の先の話は的外れだったかもしれない。俺は「文書は全て読まれる人のためにある」という前提のもと書いた。これは普通は間違ってないはずだが。 でもあ...