こらえ切れない怒りも悲しみも憎しみもマクロな視点でみればチリ1つ動かすことのできない影響力しかない
その時心がすべての気力を放出していたとしてもだろう
そんなことを考えていた今日一日中。悲観的に見れば残酷だなと思う
個人の力ではどうすることもできない力に脅かされる人もいて、他方で楽観的に見れば他人に対して一切の責任が生じていないのか
他人との関わりの中で喜怒哀楽にさえ責任が生じているように錯覚する日々で。裏腹の態度、本音を隠すのは誰のためなのか
全員一斉にそんな因習を捨てたらいい。締めるところは締めるべきだが不当に得している人種がいるように思わないか
だから態度発言を相手に保障させない、わかりやすくデフォルメされた人格を提供しない。注意深く人を私を観察する労力を使わせるべきだ