労働者適性が壊滅的に低く無職適性全振りな自分は、それだけ金が貯まるくらい節制できるなら、中高所得者になる必要も、そうなるために高等教育を受ける必要も無いと思うがなあなどと思ってしまう。
まあ、無職適性が高く草のように生きることを厭わない人は稀だろうから、収入の低さに辛さを覚える人にとっては、この増田や元増田等のように精一杯努力して大学に入り直すことは妥当な解の一つだと思う。
自分が満足している、或いは満足する自分になれるように行動するというのは、例えそれが真の満足につながるものでなかったとしても、精神衛生上価値のあるものだろう。
人から惨めと思われるような暮らしは嫌だし、成功の可能性が低い努力をするのも嫌だし、そのように思う自分の人格や価値観を修正するのも嫌だといって不満を解消しようとせずそのままでいるのはよろしくない。