「大学育ちの博士」というものを心の底から恨んでいる人たちが世の中にはいるのだろう。
そういう人達には「合理的な反論」をしたって耳を傾けないよ。わたしたちは所詮、経営者によって分断された国民さ。
わたしには、「学部卒は若く企業の色に染めやすいので使いやすい」というのは「企業の奴隷にしやすい」という意味にしかとれない。
そうやって、自分を「会社という社会」の色に染めていって型にはめることがいいことなのだろうか?
企業の外側、資本の理論の外側にある世界に思いを馳せることのできる人生がわたしは好き。
どうやって生きるのが幸せか、っていう人生観の問題になんだろうね。
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