それはある日のことだった。
ふと先輩がいつも残業していることについて深く考え出してしまった。
いつか私もこうやって残業させられるのだろうかと思うと、「キモい」以外の感想が出てこなかった。
ダンピングをして自分の首と一緒に他人の首を締め付けながら、毎日少しずつ業務効率を落とし、エナドリの数が1日2本になった先輩の姿を見て「キモい」以外の感情が出てこなかった。
理性では「ああいう人が標準になると困るが、既に標準なのかも知れない」「残業代は全額つかないのは分かるが、ああやって頑張ると何割までしかつかなくなるのだろうか」「実質の時給がどれぐらい下がったらこの仕事を辞めるべきなのだろうか」と様々なことを考えたいた。
頑張っている人間に対する後ろめたさや、同時にそうやって頑張るから更に頑張らされてそれが他人を巻き込むのだぞという憎しみさえも、「キモい」の濁流に押し流され、理性の中でのみその存在を許されていた。
こういう時、こういう事を考えたのなら、今までの私ならこういった感情に包まれていただろうという、理性を軸足にしたセルフエミュレートによって生まれでては「キモい」という感情の嵐に打ち破られていった。
今はようやく「キモい」の渦も霧散していき、平静を取り戻しつつある。
恐ろしい。