中国人や韓国人を見るときに、中国人は皆嘘つきだとか、韓国人は皆盗人だとか言うことに対し、中国人でも、韓国人でも全ての人がそうではないこと、一人一人ちゃんと見ていこうって言うのは反差別として、人権尊重として正しいと思う。
その反面、そうした主張の人が自民党と見れば皆悪のように言ったり、特定の人物を全否定したり、独裁ありきで語り、他国で独裁と見れば結びつけて何かと批判するのについて行けなかった。
集団の見方に対するこのダブルスタンダードで、反差別、平和、自由と平等、人権尊重と言ったメッキがまるっと剥がれてただの宗教観が表出した。
綺麗事を言ってるだけで、味方には優しく、ただ政敵を責めているだけなのだと気付いた。
私も平和に根ざした言葉は好きだ。人権が尊重され差別なく皆友好的にやっていきたい。
だからこそ、ただ世に平和を訴えたり実直に政策批判するのではなく、反政府ありきで独裁など謂れ無いヘイトを投げ掛ける人たちからは離れた。
右でも左でも、ヘイト抜きにして真っ当に世の中を語らえる人たちと同志になりたい。
それがまた難しいんだ これは何が正しいかではなく、時代が何を選ぶかなんだよ そして大多数の人は何がヘイトで何が平和なのかを自分の頭で考えるのではなく、時代は何を選んだのか...