真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ふりかけだな。
カルシウム不足を補うため、魚を骨ごと粉末状にして飯にかけることをコンセプトにして作られた。
大正時代に出たふりかけはいくつかあるが、これはその元祖とされているようだな。
ふりかけだな。
例えば、便座に座って小便をする人は少なくない。
立ったままだと、眼に見えないレベルの小便が飛び散っているということを“知っている”からな。
じゃあ、そうやって座ってする人は、便座の蓋をしてから流すようにしているか。
これが意外と少ない。
「立ったまますると飛び散る」ということを知っているなら、「流す際にも飛び散る」ということは考えれば分かることなんだ。
つまり知識を自分のものにしていないから、そういう応用ができない。
この状態を私は噛み砕いて「知っているだけ」と言っている。
こういう人は「1+1=2」はできても、「2+2=4」は分からないんだ。
こう例えると間抜けに見えるかもしれないが、本当にいるからな。
つまり、知識を自分のものにするというのは、ザックリいえば「1+1=2」を知っているから分かるのではなく、足し算を理解していることで解ける状態ということだ。