結婚式をハワイで行なうのはそれなりに意味があって、近しい親族だけで行なえるというメリットがある。
だが、それまで行ったこともない土地の、それ専用の産業用の教会で、産業用の牧師に日本語で台詞を即席で教えられながら次第を進め、業者に写真を撮られまくる流れ作業的な式に、どんな意味があるのだろうか。
本人たちがそれを望んでいるならもちろんそれなら良い・・・と言いたいところだが敢えて苦言を述べるとしたら、あまりに「何も考えなくてもいい」構造になっていると思う。
金さえ支払えば「何も考えなくてもいい」仕組みが出来上がっていて、そこには意味や伝統などの要素は少ない。
楽でいいのかもしれないけれど今の社会で「何も考えなくてもいい」というのは危険だ。現代は個人が自発的に考えてなんぼの社会だ。
だから「何も考えなくてもいい」と充分に考えたのならそれでいいけど、何も考えられずに「何も考えなくてもいい」構造に金銭を持って取り込まれるのは極めて危険だと、そう思う。
望んで進む修羅だ。危険もくそもない。
そんなに親しくない人を呼ばなくていいメリットがあるんだよ
俺も人呼びたくないからハワイにしよって思ってる 獲らぬ狸の皮算用だが